令和4年(2022)3月19日(土)横浜市青葉区(稲荷前古墳群、市ヶ尾横穴古墳群)
朝に横浜市瀬谷区方面を走った後、横浜市内の古墳を訪問することにする。東急田園都市線の市が尾駅から歩いて稲荷前古墳群を訪問する。駅前は住宅街だがおよそ2㎞弱歩くと田園風景になり、小高い丘が稲荷前古墳群だった。
古墳に登ると田園は住宅地などが広がる素晴らしい風景を楽しめた。
【稲荷前古墳群】
この丘陵上にはかつて前方後円墳・前方後方墳・円墳・方墳の計10基の古墳と、三つの横穴群が所在していました。これらは4世紀から7世紀にかけての古墳時代に継続的に造られていったものです。
4世紀から5世紀ごろには、ここ谷本川流域を中心とする都築の地は、一首長によって統合されていきます。そして、大和政権とも一定の政治的文化的関係をもつようになります。この古代の横浜の地が国の一部として機能し始めたときです。前方後円墳の一号墳・6号墳と前方後円墳の3基は、この地域の歴代首長の墓です。それ以外はその一族或いは子孫の墓と考えられます。ここに造営された各種の古墳は、古代の文化や政治の移り変わりを知る手がかりとなる貴重な文化遺産です。
現在、これらの古墳群のうち15号墳、16号墳、17号墳の3基が丘陵上に保存されています。特に16号墳は全国的にも数少ない形を示す前方後円墳で、神奈川県下で最初に発見されたものです。
稲荷前古墳群を後に、市が尾駅に戻る途中で、住宅地の中の丘を登り、小学校の横の公演が市ヶ尾横穴古墳群だった。
【市ヶ尾横穴古墳群】
鶴見川上流の市ヶ尾周辺には丘陵の谷間の崖面に多くの横穴墓群がつくられています。市ヶ尾横穴古墳群はその代表的なもので6世紀後半から7世紀後半にかけてつくられたA群12基、B群7基の計19期からなりたっています。これは横穴墓内部から発見された副葬品などから、この地方の有力な農民たちの墓と考えられています。この市ヶ尾横穴墓ではでは、前庭部と呼ばれる横穴入口に近い墓道の部分から、刀・土器類などが発見されました。ここで死者を悼み、祖先の霊を祭る儀式が行われているいたと考えられています。また19基の横穴内部の造りもいろいろな形式がみられ、時代とともに次第に変化していった様子もうかがえます。
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