曽我梅林・栢山神社・二宮尊徳関連史跡

古い建物

平成23年(2011)3月6日(日)1017国府津駅→曽我梅林→0950栢山神社→1025稜線(アンテナ)→1130酒匂川橋→1150二宮尊徳記念館→12時頃富水駅

 今日は早起きして、丹沢の山に行こうと思ったが、またしても寝坊してしまった。今日は昨日の続きの曽我の里から、不動山から浅間山に行こうと思ったが、ミカン畑の山上で迷ってしまい、稜線上のアンテナの頂上で断念。そこから曽我の里にまた降りて下大井、酒匂川を渡って、二宮尊徳の生誕の地栢山まで走った。
 またしても、梅林から富士山を望む。今日は笠をかぶっている。文学の日、樋口一葉もこの出身のようだ。

 ミカン畑、梅畑の中を登るが、ここで迷って農家に道を聞いて、畑を横切って道に戻る。シイタケの榾木。踏み後を通って稜線上のアンテナ塔にでるが、ここで引き返す。踏み後を通って稜線上のアンテナ塔にでるが、ここで引き返す。

 黄色い綺麗な花。酒匂川の報徳橋から富士山を望む。同橋。

 栢山神社(小田原市 栢山859)にお参り、由緒は不明。おそらく旧道を走る。水路がある。

 二宮尊徳誕生の地に到着。銅像があり、生家、記念館があり、訪問する。尊徳の偉業はここでは割愛するが、このような生き方を見習いたいものだ。
【二宮尊徳誕生の地】神奈川県小田原市栢山2065-1
 二宮尊徳は、天明7年(1787)7月23日旧栢山村にあったこの家で誕生しました。
建築年は明らかではありませんが、祖父銀右衛門が兄の万兵衛から分家した時、現在地に建てたと考えられています。
 尊徳が16歳の時一家離散となり土地と建物は売却されました。
 建物は西栢山に移築された後、市内柳新田の渡辺善太郎家住宅となっていましたが、昭和35年(1960)9月20日に尊徳記念館建設期成会が尊徳生誕の場所に復元し、市に寄贈されました。
 この建物は移築を繰り返し、改造を受けてきましたが、梁組(はりくみ)に建築時の材料がほぼ残され、全体の規模や柱の配置が分かったため、復元的に整備されています。
建物の平面は、土間のほか、炉のある広間 、床(とこ)も設けられた「でい」とも呼ばれる座敷、床(ゆか)が竹簀子(たけすのこ)の納戸で構成されます。
これら平面や構造などの様式上からも18世紀中頃のものと考えられており、二宮尊徳の生家という歴史的意義ばかりでなく、県内における江戸時代中期の中流農家住宅の典型的な例として意義深い建物です。

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