半僧坊・大平山・明王院・浄妙寺・衣張山

山登り

平成23年(2011)12月29日(木)単独 8時頃~10時半頃 北鎌倉駅~半僧坊~大平山(159m)~明王院~浄明寺~衣張り~名越切通~逗子駅

 今日は明日の旅行に備えていろいろ準備があるので、近場の鎌倉周辺の低山めぐり。建長寺の上の半僧坊は、昨年の夏に行ったので、暑くて曇っていて展望がなかったので、改めてチャレンジ。
 そして、大平山、天園を経て、まだいったことのない明王院経由の道を通り、そして衣張山を登り、名越切通しを通って逗子まで走りました。

【半僧坊】神奈川県鎌倉市山ノ内8
 明治中期の建長寺住職 おおぞら霄 かん貫どう道和尚は、ある夜お坊さんのような、また俗人とも見える白髪の老人と山中で出会い、その翁が「私を関東のいずれか清浄な処に招いてくださるなら、その処いよいよ栄え、ありがたいことが絶える事がない。」と告げ、フッと姿を消してしまった霊夢を見られました。このお姿こそ半僧坊の眞姿で、建長寺の鎮守に相応しいと、自ら奥山の方廣寺(静岡県浜松市引佐町奥山 臨済宗方廣寺派大本山)にお出向きになりご分身を願われ、明治二十三年五月、建長寺の内で最も景色の勝れた勝上?に安置され、直ちに堂宇を創建して現在の鎌倉半僧坊本殿の礎を築きました。明治二十九年三月八日平塚市の大火災や五月二十四日三浦市三﨑の大火災の折りに僧坊の御身体が身代わりとなって火災を免れたり、関東大震災の時には、ご尊像の捧持してあった金庫が何等の損傷もなかったこと、また最近では、阪神淡路大震災の折、半僧坊火盗除霊札をおまつりしてあった信者さんの家は何事もなく無事であったこと等々、霊験あらたかで家内安全、厄災消除、商運隆昌、安産守護、大漁満足、交通安全、等々、御利益は誠に甚大なものがあります。

 半僧坊から富士山、藤沢の街、丹沢がよく見える。その後、大平山(159m)に登頂。

【明王院】神奈川県鎌倉市十二所32
明王院は1235年(嘉禎元年)、鎌倉幕府四代将軍・藤原頼経により建立されました。鎌倉幕府の将軍の発願によって建立された、鎌倉市内に現存する唯一の寺院です。幕府の鬼門の方角に当たる十二所に鬼門除けの祈願所として、五大明王をおまつりしています。鎌倉で五大明王をおまつりしているのは明王院だけです。

【浄明寺】神奈川県鎌倉市浄明寺3-8-31
淨妙寺は臨済宗建長寺派の古刹。鎌倉五山の第五位で文治四年(1188)に、源頼朝の忠臣で豪勇であった足利義兼が開創し,始めは極楽寺と称した。開山は退耕行勇と伝えられる。行勇は、はじめ真言密教を学んだが栄西の門下に入り臨済禅を修めた。源頼朝や政子、実朝も帰依した高僧である。
至徳3年(1386)室町将軍・足利義満が五山の制度を定めた頃は七堂伽藍が完備し,塔頭23院を数える大寺院であったが火災などのために衰退し,現在は総門,本堂,客殿,庫裡だけ残っている。足利尊氏の父・貞氏が中興開基で墓地に貞氏の墓と伝えられる宝篋印塔がある。本尊は釈迦如来で、境内は国の指定史跡となっている。

 衣張山(121m)登頂。鎌倉市街を眺める。

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