令和5年12月29日(金休) 清水町役場~熊牛地区往復 16.8km 2時間16分
本別から札幌に帰省途中、清水町を走ることにする。今日の目的地は熊牛地区にある史跡。ここにいく途中には、ドイツ人模範農家コッホの住宅があり、熊牛地区には十勝開墾株式会社農場畜舎などがあり、向かったがそのどれにも訪問することができなかった。しかし、熊牛地区の開拓の石碑を訪問することができたので、良しとしよう。往復で約17kmで丁度よいマラソン練習になった。しかし最近長距離を走っていないので、10㎞を過ぎると足腰にきた。
【開拓記念碑】・・・石碑には左記のとおり刻まれ、左下には「北海道知事 町村金五書」と刻まれ、基台には、「開拓功労者 十勝開墾株式会社 歴代社長 滝沢吾作 渋沢栄一・・・、歴代農場長 町村金弥・・・」と刻まれている。裏面にも碑文があるが、よく読めとれない。100年記念碑の方で集落の歴史を説明する。
【熊牛百年拓魂之碑】・・・石碑には左記のとおり刻まれ、左下には「清水町長 若原匡二書」と刻まれている。その下の碑文の概要を転載する。「碑文 人跡未踏の大自然熊牛地区原野に、明治30年1月30日 子爵渋沢栄一氏ほか10名により約3,500万坪の貸し付け予定存置を出願に 渡辺勘三郎氏この計画を差配、農学士町村金弥 山本信両氏をして土質地形調査開拓事業の有望なるを確かめ 同年2月28日渋沢喜作氏を社長とする十勝開墾合資会社が設立されたのに始まる 同年4月28日には中尾喜作 西倉西六 小竹与四郎氏ら26戸99人の移民が初めて入地し 以来 馬鈴薯と稲きびを常食として未開の草原 樹林に挑み幾多の困難と闘い将来の基礎を築き 清水町発祥の地として由緒深い土地である やがてこれが熊牛農場解放期成会の結成となって 自作独立への農郷 熊牛 を築く礎を成した その間 新天地開発に未体験の厳寒風雪に耐え 十勝川の氾濫等打ち続く災害にも耐え 幾多の変遷を経て 豊かな里を築く 苦難する開墾作業のかたわら 教育所を開設し 子弟への教育振興に努めた偉業は誠に大きい 永々百年 先人の旺盛な力強い開拓精神は衰えることなく継承され 今日の豊かな郷土熊牛は今もなお隆盛を見るに至る ここに先人の艱難辛苦を偲び 開拓の偉業を永遠に顕彰し この地に生きる喜びをかみしめ 限りない未来に向けより豊かな繁栄を記念してこの碑を建立する 平成8年12月8日 熊石地域開拓百年記念事業協賛会」
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