令和6年(2024年)5月10日(金) 岩見沢市役所~(道道687線)~西川町達布~(北西に延びる農道)~(岩見沢市街に戻る農道)~岩見沢市役所 当日の走行距離 22.3km 3時間3分
岩見沢発祥の地記念公園(北海道岩見沢市北本町東1丁目)
岩見沢の街の中に入ってすぐに岩見沢発祥の地公園があった。ここも石碑に溢れている。なぜか、トイレに説明板があった。
【岩見沢発祥の地記念公園 記念公園碑】
この公園は、岩見沢市開基百年 市制施行四十周年を記念し、岩見沢発祥の地記念公園として総事業費壱阡五百万円で造成したものです。なお、このうち次の方がたのご好意を得て施工しました。昭和五十九年十月三十一日 寄 贈
1.発祥の地記念公園造成費 金壱阡万円也 故 石 黒 和 平 殿
1.発祥の地記念碑 岩見沢青年会議所殿
1.園 名 標 識 大 川 準 治 殿 題字 岩見沢市長 国 兼 孝 治 書
【開拓五十年記念碑】
表目面には上記のほか、「昭和九年九月 岩見沢市長高柳廣蔵題」と刻まれ、裏面には次のとおり出身県と戸数が刻まれていた。
明治一七八年移住士族 二七七戸
入植者 (移住者戸数 二七七戸)
山口縣士族 阿武正貞 以下一三六戸
鳥取縣士族 絹川勘市 以下一〇五戸
石川縣士族 山本直繁 以下 一二戸
滋賀縣士族 桑原義雄 以下 二戸
山形縣士族 本間文蔵 以下 五戸
秋田縣士族 渡部三治 以下 二戸
大分縣士族 越川仙造 以下 二戸
三重縣士族 土屋平三 一戸
富山縣士族 高瀬正之 以下 二戸
愛媛縣士族 池内恒次郎 一戸
島根縣士族 常松 緑 以下 三戸
福岡縣士族 中村芳蔵 以下 六戸
【山口県柳井市大島平郡出身士族移住記念碑】
明治十六年札幌縣甲第二十五号 北海道移住士族取扱規則により 同十七年二月
出願同年七月 共同運輸会社汽船通濟丸に特約旧里山口縣大島郡平郡村字西で入船
移住戸数二十七戸人員百十余名乗船 北海道小樽港へ直航 八月二十五日石狩国空知
郡岩見澤に移住す 当時札幌縣勧業課 岩見澤派出所あり移住者監督保護を受く 同
年九月岩見沢村を置き 戸長役場を設けらる 十八年大野両氏移着 依て二十九戸となる 同年限り移住士族取扱規則廃止せられる 之に依て各縣より移住者総数総二百七十七戸
之を開村の創業者とす 開村二十年 明治三十六年春 西村藤左衛門の依頼により 浅海敦之助 之を記す
【岩見沢発祥の地碑】
明治十一年八月開拓使によって旅人保護のためこの地に官設休泊所が設置され、のち狩野末吉がこれを借り受け宿泊と渡し守を営みました。これが岩見沢市街地定住の第 1 号といわれています。また道路工事に従事した人々がゆあみをして汗を流し落した沢、浴沢から岩見沢の地名が生れたといわれていますがその場所もこの近くです。そしてこの両岸から次々と人が住みつき今日の岩見沢が誕生しました.なおこの碑は、昭和五十八年に岩見沢開基百年を迎えるにあたり記念事業の一環として岩見沢青年会議所が第三十一回北海道地区会員大会主管記念として一般市民の協力を得て建立し、市に寄贈されたものです。昭和五十七年九月
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