中沼神社・林檎の碑

石碑等(開拓記念碑)

平成28年(2016)10月10日(月・祝)あいの里公園駅~石狩川・豊平川河川敷~中沼~モエレ沼~丘珠~花畔札幌線~札幌駅 20.1km 3時間06分

本日は天気もいまいちなので、札幌の近場を走ることにするが、以前、豊平川の河川敷を上流から下流に走ってあいの里公園まで行ったことがあるので、今日は逆のコースを走ってみる。
 学園都市線で、八軒からあいの里公園まで行く。あいの里公園から石狩川の河川敷に抜ける人だけが通れる道を見つけてほっとする。
 河川敷の雄大な景色に感動しながらしばらく走る。河川敷を大通付近まで走ろうとするが、今日の目的地である中沼に右折すると、中沼の墓地が見える。中には明治の墓石もあり、歴史を感じる。
 中沼地区には、工場などが多いが、結構寂れている。モエレ沼公園の北側に到着すると中沼神社が見えてきた。結構新しい社殿であるが、ネットで由緒を調べるとやはり比較的新しい。

【中沼神社】北海道札幌市東区中沼町72-7【転載】
この神社は、かつての篠路村にあった[池の端神社と中野神社]が、昭和23 年 この地区での小学校新築を機に合併の話が進み[中沼神社]が誕生したものです。その後昭和41年に小学校が新築のため移転を余儀なくされ現在地に社殿を建立しました。朱色の鳥居は昭和43年に奉納されたものです。
現在の社殿は、老朽化が激しいため2009年にリニューアルされています。
この神社は、福移神社と同様に篠路神社の飛地境内神社として昭和41年に認証され、天照皇大神と天香山命を祀っています。
【転載終了】

 その後、モエレ沼のほとりにでて少し走ると、黄金の観音様が見える。降りるとバラックの拝殿の扁額には真言宗輝光山弘法寺東別院と書いてあって、中を見ると寝座のお釈迦さまである。街並みランニングでは、いいものを発見できる。しかし、ネット上では由来を発見できなかった。
 
 その後、モエレ沼のプレイマウンテンとモエレ山に登る。ちなみに、モエレ山頂上は62mであるが、二等三角点だそうだ。

 その後、花畔札幌線(おそらく旧道)を走る。途中、伏古の公園で庚申塔を発見するとともに、北11条近辺の大覚寺近辺で「林檎の碑」を見つけた。ネット上で、碑文の裏文を見つけた。

【林檎の碑】北海道札幌市東区北10条東11丁目2-10【転載はじめ】
 この碑は、東区元村街道沿、北11条東12丁目の個人邸宅の前庭に建立されています。この邸宅は豊平区[天神山緑地]の歌碑の中で石川啄木が詠んだ歌の中に出てくる、橘 智恵子の実家の果樹園のあった場所です。碑の裏面には次のように記されています。
[札幌村元村の林檎は橘仁が此地に定住し苗木を植付せる時より始まる。仁は東京に於て津田仙氏の学農社に学び明治十七年春、苗木・妻・戸籍を携へ此地に住付き栽培す、適地で順調に生育せる樹は明治23年より結実初めて販売す、橘林檎園の誕生なり、隣地の農家にて之を倣ひたる約10名も全て林檎園とし以後10余年は年々収穫を増し当時仁は札幌の林檎栽培の第一人者として知られ北海道果樹協会会長北海道大学南鷹次郎博士の役員を務め全国博覧会に優等賞を受けその果実は宮内省に献上の光栄を担うに至る。其後病害に会い他の農園は全て玉葱に転向せしも仁は再度作付し20余年の後昭和5年6月14日仁没と共に林檎園は消滅す。仁が此地に基を定めて百年以上経ち其の孫30余名は国内はもとより米国伯国に在る今祖父を偲びて此の碑を建立す。 昭和61年(1986年)9月]
【転載終了】

 その後、札幌駅までヘロヘロになりながら、帰りました。

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