札幌市(平岡公園等)

旅ラン

札幌市【家~大通~国道36号線の豊平地区~旧平岸街道~平園公園(平岸5条7丁目)~中の島~すすきの~札幌駅】
・平岸のリンゴ倉庫、平園公園(故重延卯平翁之碑、東裏の馬頭観世音碑)
 令和3年4月11日(日)18km 2時間31分
 
 快晴でランニング日和、本日も吉方の南東方面に走りに行く。今日の目的地は「つきさっぷ郷土資料館」だが、途中スマホで確認すると休館なので、36号線を引き返し、走ったことがない36号線から「平岸街道」を走ることにする。
 豊平町役場があった場所の小道が平岸街道である。菓舗「いとう」さんの看板に「ここが平岸街道」と書いてある。小道をしばらく走り、北海学園大学の南側の平岸街道に合流する。丁度そこでお腹が空いてきてラーメン屋があった。「札幌つけ麺風林堂」である。ネットでも評価が高く、思わず入ってしまい、味噌つけ麺を頼んだ。評判通り旨かった。
 途中で石造りのリンゴ倉庫を見つけた。いつもながらであるが、ランニングの速度でないと見つけることができない。

【リンゴ倉庫】
 昭和10年建築。札幌軟石石造りのリンゴ倉庫。札幌軟石は、約3万2千年前に支笏湖火山噴火の際に、噴出した溶結凝灰岩によりいできたもの。

 ラーメンでお腹いっぱいだが、今日の目的地の一つでもある、平岸5条7丁目の平園公園に向かう。

【平園公園】
 この公園は昭和43年6月区画整理事業で取得されたもので、当時は水田地帯となっていた。公園名も平岸、美園両地区の住民が楽しむことを願って、双方の一字をとって平園公園と名付けた。

 平園公園には石碑が三つある。

【故重延卯平翁之碑】
 碑面には大きく、「故重延卯平翁之碑」と刻まれ、その左脇に「男爵佐藤昌介書」と小さく添えられています。「故重延卯平翁ハ愛媛縣ノ人明治十八年幼ニシテ平岸村ニ来往シ農業ニ従事セリ長スルニ隨(したが)ヒ勤倹力行産ヲ収メ然(しかれど)モ水田耕作ノ改良農具發明ノ功勞尠(すくな)カラズ大日本農會ヨリ表彰セラル加之多年農會役員町會議員等公職ニ在リ自治ニ貢献セシ處(ところ)亦(また)大ナリトス惜哉昭和十年六月病ヲ以テ歿ス時ニ六十二歳茲ニ開拓功勞者トシテ其ノ懿徳(いとく)ヲ碑ニ刻シ後世ニ傳フ
昭和十一年七月五日建之 豊平町長松崎亀二書」
その下に続けて、「發起者 平岸村東裏部落一同」「故重延卯平翁の碑」昭和11年、開拓の先駆者であり東裏部落発展の基礎を築いた、故重延卯平翁をしのんで村人が建立した碑。東裏に初めて水田を開き米を収穫した重延久太郎、卯平親子の並々ならぬ努力をたたえたものである。」

【東裏の馬頭観世音碑】
 平岸の東側は東裏と呼ばれていたそうだ。大正4年建立。平岸の水田農家が家族の一員である馬の無病息災を祈願するとともに、死亡した馬の霊を慰めるため建てられた。

 その右側の石碑には何と書いてあるかわからないが、裏面を読むと戦死した軍人を讃えた碑なのだろう。
【右側の石碑】
 故陸軍軍曹 松本喜市 23才 昭和20年5月5日 首里 戦死
 故陸軍兵長 佐藤栄吉 25才 昭和19年10月21日 メレヨン島 戦死
 昭和33年11月20日合祀す 東裏親交会会長 重延実

 平園公園をあとにし、平岸、中の島、すすきの、大通、札幌駅に向かい、バスで家に帰る。

コメント