野田生開拓記念碑・濁川温泉薬師堂

石碑等(開拓記念碑)

平成27年(2015)10月9日(金)8.5km 1時間5分

 父方の祖母の七回忌法要のため、森町に向かう途中、八雲町野田生を走ることに。
 野田生駅に車を停め、とりあえず海の方に向かう。昔のメインストリートのようだが、田舎を走ると相変わらず人に会わない。海、港から違う道を山の方に引き返すと、古い工場跡地があった。物寂しい雰囲気満載だ。

 国道沿いのお寺に着く。龍隠寺というそうだ。境内に鈴木重助翁の碑がある。ネットで調べても出てこないが、恐らく開拓功労者なのだろう。 

 国道を渡るとすぐに、 野田生神社が見えてきた。その横に開拓100周年の碑がある。
(転載はじめ)
 愛郷の思い 二世紀への決意
 ここ野田生の地は明治16年徳川家開墾地が開進会社より買収したところへ明治21年5月農民による第1回の小作移民として愛知県西加茂郡三好村の幸村伝四郎他4家族がこの地に開拓の鍬を入れたに始まる野田生川流域西側は湿地が多く、丘陵地は火山灰地であった。
 先人が北辺の風土になじみ、開墾が生活の安定をもたらすまでの御苦労を偲び、今、見渡す限りの美田と牛の群れる牧野、鮭が遡上する水清き川、帆立貝の養殖に賭ける前浜、そして広大な工業団地を擁するこの地が二世紀に向かって豊かに栄えることを願い、開拓百年を記念して建立する。
 昭和63年10月23日
 野田生開拓百年記念事業協賛会
(転載終了)

 そこから西に川の上流沿いに走る。高速道路を過ぎてデントコーン畑が出てきて、熊が怖いので引き返すことに。少し引き返して、左折すると野田生公園なるものがあり、パークゴルフ場はあるが、鬱蒼としてこれまた熊が出そうなので、引き返して高台の牧草畑を見て駅に変える。途中、犬と猫が仲良く戯れていた。 

 

その後、濁川温泉の「にこりの湯」で汗を流すと、なんとここに江戸時代に創建された薬師堂があるという。掲示板等から転載。

(転載はじめ)
 濁川温泉は、文化4年(1807)幕府役人小川喜太郎と間宮林蔵の命により、石倉村の加賀谷半左衛門が、「元湯」を開設したのが始まりです。遠くは仙台からも当時客が訪れ、浜が豊漁のたびに地元客で大変な賑わいを呈しました。また、濁川地区は、噴火により形成されたカルデラ地です。このことからも地熱発電も営業されています。農家では蒸気を利用したハウスでトマト、キュウリなどが栽培されています。

 この度、元湯神泉館側にございました「薬師如来堂」を当温泉側に移転しました。薬師如来堂には「瑠璃光薬師如来像」が奉納されています。この像は、温泉の守り神として寛政10年(1798年)には、すでに湯浴みをされたお客様より奉納されていました。
 このお堂には開祖 加賀谷半左衛門の位牌も祀られており、温泉の薬効は、薬師如来のなせる業と伝えられ、”薬師さん”と呼ばれて長い間多くの湯治客に喜ばれてきました。
 当温泉の開祖は石倉村村長、加賀谷半左衛門で、文化2年(1805年)、幕府の役人である小川喜太郎と間宮林蔵が視察し、2年後の文化4年に温泉開設を仰せつかりました。
 温泉の名称は、熊の湯→加賀谷温泉→元湯神泉館→にこりの湯と変わりまして、現在に至っております。

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