藤原京・おふさ観音

城郭・チャシ

令和6年(2024)1月25日(木) 大和八木駅~橿原神宮駅~藤原京跡~おふさ観音 奈良県橿原市 5.5km 50分

 出張中の朝活ラン。二日酔いだが6時に大和八木駅から電車に乗って橿原神宮駅に移動。当たりはまだ暗い。国道169号線、通称中街道を北上する。国道なのに狭く、トラックがすれ違うと怖い。しばらく走ると明るくなってきた。田園地帯の中の広大な土地が藤原京だった。真ん中の木がある所が太極殿だったようだ。

【藤原京跡】・・・橿原市ホームページより転載。
 藤原宮跡(ふじわらきゅうせき)は、今から約1300年前、持統・文武・元明の三代の天皇が治めた都、藤原京(694~710)の中心にあった宮殿・藤原宮のあったところです。藤原宮にはかつて、一辺約1キロメートルの中に大極殿や朝堂院といった国をあげての儀式や政治を行う施設や天皇の住まいである内裏などがあり、現在の皇居と国会議事堂、霞ヶ関の官庁街を合わせた性格を持っていました。藤原京が都であった期間は694年~710年の16年間ですが、その大きさは後の平城京や平安京を上回る規模ともいわれており、藤原京の構造はその後の都にも引き継がれていきます。

 藤原京をあとにし、宿に戻る途中、赤い提灯がたくさんぶら下がっているお寺があり、訪れてみると「おふさ観音」であった。

【おふさ観音】
 正式名は高野山真言宗別格本山観音寺。通称名は、江戸時代に地元の娘「おふさ」さんが、この地で観音様を奉りはじめたのが後にお寺に発展したといわれています。本尊は十一面観音。大和七福神(信貴山朝護孫子寺、久米寺、長谷寺、おふさ観音、談山神社、當麻寺中之坊、安倍文殊院)に大神神社が加わり、大和七福神八宝霊場会を発足。
慶安3年(1650年)4月、この辺りにあった鯉ヶ淵という池の中から白い亀に乗った観音菩薩が現れ、それを発見した付近に住む娘おふさが小さな堂を建立して比叡山延暦寺北谷にあった観音院の本尊・十一面観音を譲り受けて祀ったことが起源とされている。

 帰りの道は、狭いが古い町並みであった。

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