令和6年(2024)3月10日(日) 鹿追町笹川地区
今日も吉方の西方に。鹿追町の市街の北方の笹川地区の笹川小学校のところに石碑があった。
【「愛郷」碑】
自然石の中に「愛」と「郷」の文字が刻まれた黒い石が一枚づつ埋め込まれ、その下に碑文があった。「碑文 明治四十一年四、新潟県人飯田源作、勝次郎父子一家此の地に至り入植したのが笹川開拓の嚆矢とする。爾来七十有余年、千古斧鉈の原野を幾多の先人の粒粒辛苦、不撓不屈の地と汗と結晶が今日の笹川の繁栄の礎をつくる。大正初期この地を「笹川(ささがわ)」と名づける。この度「笹川部落史」の編纂を機に、遠く先人の労苦を偲び、それを継承し発展させて来た人々に感謝し、部落民和合のもとに未来の飛躍と不窮を希求し、この碑を建立する 昭和五十八年四月 鹿追町笹川部落 建立 題字 船越重雄書」
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