令和6年(2024)8月6日(火)北海道中川郡本別町北1丁目
本別町に住んでいて、灯台下暗し。廃線跡と戦跡の双方の史跡を訪問できる場所であった。
【本別川橋梁(百年鉄橋)】
・橋梁の歴史
1908(明治41)年に建設され、1910(明治43)年9月に網走線が開通して以来、ふるさと銀河線が廃止となった2006(平成18)年4月までの97年間、本別町の鉄道の歴史とともに歩んできた鉄橋。橋台にレンガを使用した工法は、現在ほとんど施工されず、貴重な鉄道遺産といえる。橋げたは1966(昭和41)年に架け替えられ、1974(昭和49)年に塗り替えられているが、橋台は現在まで昔懐かしい姿を残している。
・本別空襲
太平洋戦争末期の1945(昭和20年)7月15日午前8時ごろ、本別町は米軍機による空襲を受けた。死者40人、全焼家屋279戸、大破家屋112戸、罹災者1,915人、これは十勝で最大、北海道でも函館・室蘭・根室・釧路に次ぐ5番目の被害であった。約50分間の銃爆撃で街は三日三晩燃え続け、爆音は近隣のまちにも届いたという。
・橋台に残る銃弾痕
レンガ製の橋台には、空襲で受けた傷が残っている。本別空襲の爪痕を忘れることなく、後世に伝え残すために、保存・後悔しています。(以下、略)
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