令和6年(2024)8月26日(月) 清水町石山地区
国道274号線の日勝峠を十勝方面に下り、道道55線を右折する1本前の近道のところに石碑が見えた。「石山開拓の歩み」という、地図も記されている珍しい開拓の碑であった。
【石山開拓の歩み】
表面には次のとおり刻まれていた。
「総じて十勝全国は林野草野、彼此相半ばし、格も天造の大いなる牧場の如し。西北に高山ありて北風を防ぎ、雨雪を減ずるを以て土地高燥、気候緩和、牧草甘味にして、最も水利に富む。けだし本道八州中、最も牧畜に適した所ならん」これは明治13年8月十勝内陸部よりトノサマバッタの大発生あり、これを機に同14年道東平野の産業の可能性、地形、道路の調査の命を受けた開拓使御用係内田瀞、田内捨六の復命書にて、以来、十勝開発の指針はこの報告書の基詞によるものと思われる。
裏面には次のとおり刻まれていた。
日勝道路。明治14年9月沙流川筋から日高山脈鞍部を越え、同年11月ぺケレベツ上流より十勝入りし、このルートが道路開発法に適うものなりとの報告書があり、本町にては明治40年の山越え以来同支庁に踏査隊が編成され昭和9年初踏査。同年「清水村開発期成会」発足。昭和27年、概調完了。昭和30年5月着工。昭和40年10月15日開道。石山開拓農道の予定計画が開道を早める事となる。
年次別入植者の動向。明治4年、須田農場は小林川右岸にマッチ工場を開設。原料不足により明治42年閉鎖。帯広村高橋仙松に譲渡。しかし入植者は殆ど無く、石山地区(原野419番地301ha)への入賞者は大正8年1戸、同14年5戸、30戸と増え、集落も石山第1、第2に分かれる。しかしその後は同20年代までに殆どが離農する。その後の動向は表記のとおりである。
現況。石山地区は東西6km、標高250mから450mに位置し、日勝峠に立つと眼下に一面牧草地の緑の美しい景観が見られる。その昔は行き詰まりの砂利道しかなく山麓特有のガス、日高甍の強風で厳しい気象条件下にあり、酪農(有畜)携帯以外では生きる道は無いといっても過言でないであろう。ランプ生活から昭和38年12月に電化され初めての点灯。牛乳も手搾りからミルカへと変化する。しかしこの悪条件下でも「牧草」だけは逞しく場所を選ぶ事なく立派に育ってくれる。このこと、すなわち牧草さえしっかり作れば自信と生きる道を与えてくれるのである。道東自動車道においては、地区内に清水インターが設置され、清水から池田・足寄間が平成7年10月に開通、トマムから清水間が平成19年10月に開通した。現在の地区内の酪農専業者6戸の概況は乳牛が成牛550頭、育成牛400頭、耕地が牧草地360ha、デントコーン10ha、放牧草地80ha、酪農農家以外の利用草地が110haである。※参考資料は清水町史50年史、80年史、100年史による 平成19年10月28日(以下略)
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