令和6年(2024)3月9日(土) 士幌町中士幌~士幌町発祥の地~町道を北上~国道274に左折~道道337を南下~一時音更町に入る~道道771に左折 16km 2時間8分
中士幌に車を停めて、中士幌の史跡を訪問し、士幌市街地の直前まで行き、上記の道を通って帰ってくるルートを走ることにする。中士幌の史跡は以前訪問したが、土砂降りできちんとレポートできなかったので改めてレポートする。
【士幌町發祥の地】
表面には上記のとおり刻まれ、その下に「町長古山佐?書」と刻まれ、その下には「美濃開墾合資会社入植者名」が刻まれていた。裏面には次のとおり刻まれていた。「明治三十一年岐阜の人小椋忠左衛門他四十二戸がここに入地した これが士幌町開拓のはじめである 本日開基四十年町制施行の式典にあたり 碑を建てて永遠に記念する 昭和三十七年十一月一日 士幌町」
【中士幌開拓百周年碑】
士幌町長 小川寅之助書と書いてあり、隣の石碑には次のとおり書かれていた。「士幌町開拓の先人は、岐阜県美濃地方より明治31年3月18日、春まだ浅い雪原の広がるこの地に入植。ここに、壮大な理想郷建設の夢を抱き、日夜を分かたず寝食を忘れ昼尚暗い原始の密林を懸命に拓り開き、筆舌に尽くし得ない幾多の苦難を克服しつつ今日の中士幌地区発展の基礎を築かれた。
先人の教訓と意思を継承した先輩は、地域の産業・教育・文化の振興発展に弛まぬ懸命な努力と意欲とて、今日の中士幌地区に広がる豊饒な畑作酪農地帯と住みよい市街地を形成された。・・・以下略」
【開拓史跡 美濃の家(旧洞田宅)のいわれ】
(概要)この建物は、町開拓90周年を記念し復元。大正五年事洞田増次郎によって建築された美濃地方特有の農家様式で当時としては豪壮な造り。材料は西上音更産、大工は中士幌在住の松井喜市が一人で手掛けたという。(以下、略)
町道を北上し、JAの牧場のところに分監小屋跡の説明板があった。
【士幌町史跡(8)平成元年度指定 割山の分監小屋跡 前方150m】
明治25年(1892)北海道集治監十勝分監の建設が始まると、帯広から音更川上流へ木材伐採に従来する囚人達の中継宿泊小屋が此の地に建てられた。明治40年音更川沿に道路が開削されると割山の分監と呼ばれ奥地交通の要衝となった。小屋は大正15年士幌線鉄道が開通すると使われなくなった。
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