令和6年(2024)9月23日(月祝)浦幌町稲穂地区
幾千世地区から道道948号線を南下し、左に行くと浦幌、真っすぐに行くと吉野地区であるが、真っすぐに行くと右手に、広場や神社、そして石碑が見えてきた。稲穂地区である。二つの石碑があり、一つは巨大で比較的新しく、もう一つは小さく古かった。
【百歳の礎】
自然石に上記のとおり大きく刻まれ、その隣に「浦幌町長 徳永光秀書」と添えられていた。その脇に碑文があり、次のとおり刻まれていた。「碑文 郷土稲穂は徳島県人小澤兼蔵氏が開墾適地として貸下げられ、明治32年小作人五戸と入植同年井分兼人熊谷??が入植したのが始まりである 当初下頃辺原野と称し鬱蒼とした原始林と葦で覆われていた地で開拓の人達は茅屋に起居し粗衣粗食で野獣や蚊群の襲来 川の氾濫 度重なる冷害凶作などの厳しい諸条件の下営々と重労働の開墾に従事した労苦辛酸は筆舌に尽くし難いものであった 先駆者の苦闘により荒野は肥沃な大地と変貌した米作地に因み改称 馬産地から酪農郷への発展し今日の隆昌を見るに至った 茲に開拓百年を迎える当たり永年の労苦を偲び記念碑を建立し その功績を永久に讃えると共に末永き繁栄の努力を誓うものである 平成十年四月 稲穂開拓百年記念事業協賛会」
もう一つ小さい開拓紀念碑があった。
【加賀団体開拓紀年碑】
上記のとおり刻まれ、横と後ろにたくさん文字が刻まれていた。よく読み取れないが、キーワードのみ転載。明治四十一年八月入植か。
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