令和6年(2024)12月14日(土) たまゆらの湯(桑園)~北大~北12条駅~北大 9.4km 1時間5分
北大医学部の厳寒のところに今裕博士の胸像があった。特段の説明板はない。ネットで調べると、弘前市の出身で、津軽藩侍医・今幹斎の五男で、北大医学部の設立に尽力された人のようだ。今 裕(こん ゆたか、1878年(明治11年)2月7日 – 1954年(昭和29年)2月5日)
【医学博士 今裕】北海道札幌市 北区北15条西7丁目
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【新渡戸夫人寄贈のハルニレ】北海道札幌市北区北9条西4丁目
北大正門のところに説明板があった。この辺の樹木はハルニレで、新渡戸稲造夫人が寄贈したものなのだ。以下、説明板の内容。「この木は、学名・ハルニレと言い、1905(明治38)年春、新渡戸稲造夫人メリー(和名・万里)氏の寄贈により植樹されたものである。夫人はフィラデルフィアの富豪エルキントン家の娘で、新渡戸が24歳の時、アメリカ留学中に知り合う。その翌年、新渡戸は札幌農学校の助教に任命されるが、農政学研鑚のためドイツに留学、4年後の1891(明治24)年、留学を終えた新渡戸29歳の時結婚する。そして、札幌農学校に赴任する新渡戸と共に来日、7年間を過ごす。新渡戸は1894(明治27)年、長年の夢であった夜学校(遠友夜学校と命名)を開設するが、その資金はメリー夫人の実家から送られてきた遺産が元になったという。夫妻は精魂込めて学生達に学問を吸収させるが、4つの学校をかけ持ちするなど激務のため、共に健康を害し、1897(明治30)年、療養のため気候温暖なカリフォルニアに渡る。古記によれば、夫人は札幌を離れても学生を慈しみ、札幌農学校を想う心篤く、本校の校舎新築に際しハルニレ24本を寄贈せられ、宮部金吾教授の細心の注意の下、路傍樹として構内各所に植樹されたとある。そのとき、正門付近に植えられた内の5本(事務局前2本、南向かい3本)がこの樹であり、樹齢はおよそ100年である。「2002(平成14)年11月」」
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