令和7年(2025)5月24日(土) 桑園~琴似~発寒神社往復 約14.5km
北海道札幌市西区発寒11条三丁目1番33
発寒神社を訪問する。ここはストーンサークルはレポートしたことがあるが、屯田兵関係の石碑は報告していなかった。
【発寒屯田兵移住百年記念碑】
石碑には上記のとおり刻ま、台座の正面には「寄付者名」と「発起人」の名前が刻まれている。裏面には次のとおり刻まれている。「富国強兵北辺警備北海の大地開拓の国是の大任を荷負い三十二戸その家族による未開の大地開懇は言語に絶する苦難の業であった事が偲ばれ此の地に移住して風雪百年その功績を稱え以って碑となし後世に伝う 昭和五十年五月 発寒屯田兵子孫会」そして、その下部には「移住者氏名」として、盛岡藩士20人、仙台藩士14人の合わせて34人の名前が刻まれている。
【発寒移住記念碑】
上記のとおり刻まれ、「札幌市長髙田富與」と刻まれている。揮毫した髙田富與氏は、5代目の札幌市長だそうだ。裏面には次のとおり刻まれていた。「安政元年幕府ハ目付堀織部正利煕勘定吟味役村垣淡路守範正ニ命ジテ蝦夷地巡視セシム其ノ復命ニヨリ発寒ニ幕府旗本ノ士ヲ移住セシムル事ニ決シ安政四年与力山岡精次郎小普請組阿部兵庫支配秋山栄太郎其弟鉄三郎大竹鎮十郎永田休蔵輕部傳一郎仝豊三郎弓氣多源之丞秋場熊蔵鈴木顕輔酒井和三郎大谷某山田某ガ入地開墾二從事セリ永田休蔵ハ実二十一戸ノ農家ヲ伴ヒ移住シ発寒ハ当時石狩原頭二於ケル唯一ノ集団移民地ナリキ 皇紀二千六百十九年五月 皇太子殿下御成婚記念 発寒神社宮司 有田久一 謹書 施工 石谷石材店 刻」




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