力士若勇碑・新琴似屯田兵中隊本部

戦跡・古戦場

平成26年(2014)4月26日(土) 14時頃出発 13・8km 2時間3分 宮の森~琴似~新川~新琴似

 本日は快晴で暖かく絶好のランニング日和である。午前中は家の用事があり、午後は解放されたので、市内を走りに行くことに。しかし、札幌市内はほとんど走り尽くしていて、ほとんどのコースは飽きてしまったのだが、先日購入した「札幌歴史散歩」から札幌市内にある歴史的な建造物、碑などを走って訪ねることに。
 今日は、その第1回目であり、新琴似方面を訪ねることに。
 琴似栄町通を新琴似方面にまっすぐ走る。早速新川沿いに「力士若勇碑」を発見。
以下、説明版から転載。

~かつての新河地区は純畑作農村で、当時村人によって収穫時に祭典が行われ、その主要行事の一つに奉納相撲があった。この碑の若勇関は、大正2年25歳で富山県から琴似村新川に住居を持った。本名を前谷省三といい、素人相撲ながら大関を張り、その豪快な取り口は人々の話題をさらった。また若勇関は、当時としては大型の農業を営み、新川地区の基礎を作った。農民としてこの功績をたたえたのが、この費であり、大正10年相撲を引退した記念に建てられた。~

 次に新琴似歌舞伎座の跡というのがあるということなのだが、これは発見できなかった。

 次に、新琴似神社にある「開村記念碑」である。新琴似屯田兵村は、九州や中国地方の士族の次男、三男などが北海道に移住し、明治20年に146戸、明治21年に74戸が兵村を作ったようだ。

 神社の横に「新琴似屯田兵中隊本部」が残っている。本から一部転載する。

~新琴似屯田兵村の中隊本部として建てられ、村の中心施設で、中隊長、士官等が常駐。屯田兵は日常は開拓の桑をふるう農民でもあるので、中隊本部は兵務を指揮監督し、屯田事務局からの指令を処理する軍役所の機能と、開墾・養蚕・製麻などの授産事業、兵員の家族の日常生活を扱う役場の機能もあった。~

 新琴似から同じ道を通って自宅に帰りました。

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