令和7年(2025)7月4日(金)福島県会津若松市山鹿町1-25
江戸時代の代表的兵学者・山鹿素行が生まれた場所でもあり、誕生地を記念した碑があった。山鹿素行は元和8年(1622)に生まれ、儒学や国学などを極め、兵学では山鹿流の一派をし、赤穂四十七士の生みの親となったことで有名です。
奥の石碑には、「山鹿素行先生誕生地」の石碑があり、なんとその石碑は東郷平八郎元帥の揮毫だった。もう一つの石碑には漢文がびっしり刻まれていた。
同じ場所に上杉景勝の筆頭家臣「直江景勝屋敷跡」の説明板があった。
この場所は城に近く、「本一之丁」と「大町通り」が交差する場所。蒲生氏郷による町割以後、ここは重臣の屋敷がおかれた。1598年、越後から会津に上杉景勝は移ってきた。上杉家筆頭家臣、直江兼続の屋敷に、ここを与えた。兼続は、景勝から信頼を受け、米沢領(約6万石)の支配を任された。1600年、景勝が神指原に新城を築こうとした。兼続は、普請奉行としてその指揮にあたった。関ヶ原の合戦で、徳川家康が勝利し、上杉家は敵側として米沢30万石に減封された。





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