千代ヶ岡陣屋跡

戦跡・古戦場

令和7年(2025)11日1日(土)函館市千代台町

 千代台競技場がある高砂通のところに標題の説明版があった。

【千代ヶ岡陣屋】
 文化5年(1808年)、幕府から蝦夷地(北海道)の警備を命じられた仙台藩が、択捉などの出張陣屋の元陣屋として、現在の中島小学校付近から千代台公園野球場にかけての丘陵地帯に、東西約130m、南北約150mの土塁を築き陣屋を置いたのが最初である。
 安政2年(1855年)には、幕府が津軽藩に対して、西は乙部から神威岬まで、東は箱館から恵山岬までの警備を命じたため、津軽藩は出張陣屋を寿都に設け、ここを元陣屋として受け持ったので、津軽陣屋、あるいは、このあたりの地名を取って千代ヶ岡陣屋とも呼ばれた。
 明治元年(1868年)10月、道南一帯を掌握した複本武揚率いる旧幕府軍が、五稜郭を本拠に弁天台場や津軽藩が引き揚げて空塁になっていた千代ヶ岡に兵を配置したが、明治2年5月16日、新政府軍の総攻撃により守将中島三郎助らは壮烈な最期を遂げ、この陣屋は陥落した。

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