長官山・馬追山

山登り

長官山(254m)・馬追山(瀞台272.8m)
平成27年(2015)5月24日(日) 単独

0800 馬追温泉登山口
0825 長官山
0850 馬追温泉
0931 馬追山
0954 登山口

 今日は快晴で家の行事もないので、低山めぐりへ。今日はこれまで行ったことがない、長沼町の長官山と馬追山を登ることに。
 朝、6時半に家を出発すると、車がすいていて1時間強で馬追温泉に到着。早速長官山に出発。小走りで登っていくとあっという間、25分で頂上に着いてしまった。頂上の展望台には女性が一人昼食を食べながら佇んでいる。眼下には田園地帯が広がる。長官山の由来は立看板によると次のとおり。

(転載はじめ)
 明治24年9月、渡辺千秋第3代北海道庁長官が全道巡視の途中、この峰に登り、石狩平野の開拓構想を練った。これを記念して長官山と名付けた。
(転載終了)

 この山を早々に切り上げて、登山口に戻り、次は反対の馬追山へ向かうが、登山道への取り付きを間違ってしまい、20分くらい林道をさまよう。長官山への登山道は約2.4kmであるが傾斜が緩く、これも20分程度で頂上に到着。頂上の景色は長官山ほど悪くない。頂上には日本で一番目の天測点があり山の由来が書いてあった。

(転載はじめ)
 天測点第一号。日本の近代的な測量は、精密な地図を作成するために明治時代に一等三角測量を行ったことが始まりです。その後大正時代になると日本列島全体で少し歪があることがわかりました。その歪の量を全国的に調べるために、昭和29年から昭和33年の5年間に全国48か所の天測点を設置しました。
 この天測点は、その第一号として、昭和29年6月6日に設置されました。
 天測点は、天文測量で使用する子午線を置く観測台のことで、観測には安定した台が必要でした。この台の上面には十字が刻まれた直径4cmの丸銅版が埋め込まれています。この天測点は、日本の測量の基準を確認した「いしづえ」ともいえる測量史跡です。
 平成14年4月1日に測量法が改正され測量の基準が日本測地系から、世界測地系に変わり、歪は解消されています。
 なお、天測点は、測量方法や測量機器の改良により現在は使用されておりません。
 平成15年9月1日                    長沼町教育委員会
(転載終了)

(転載はじめ)
 瀞台。
 明治19年北海道植民地選定事業のため、北海道庁技師内田瀞氏が、馬追原野の地勢調査のため登ったもので、この事業は北海道農村設定と開拓使の上で画期的なものであった。
 この馬追原野はその第一次のもので、その主役となった内田瀞氏を讃えて昭和35年「しずか台」(本名きよし)と命名された。
 この山に登り、石狩平野を眺望して「大小の河川沼沢、深い泥炭層、その開拓の前途は容易ならざるも必ずや、他日の穀倉たらん」と述べている。
(転載終了)

 2山登ったにもかかわらず、体力の消耗的にはちょっと物足りなかったが、意外に歴史を感じることができた。
 帰りは、馬追の名水で水を汲んで、長沼でジンギスカンを買って家路に着く。

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