日高町日高の史跡

寺社

令和7年(2025)11月3日(月祝) 道の駅樹海ロード日高~日高高原荘~日高神社 約3㎞

 いつも立ち寄る日高町日高地区で気になるところとして日高神社があったので、道の駅に車を停めて走って訪問することに。思いもかけず、役場発祥の地と神社のところで開拓記念碑を見つけた。

【右左府村戸長役場跡】沙流郡日高町本町西1丁目330-3
 国道274号線の曲がり角のところに標柱が建っていた。「右左府」は「うしゃっぷ」と読む。3方面には次のとおり書かれていた。
 「日高町が幌去村(平取町)から分村(大正8年)して右左府村になったとき、ここに役場が建てられました。」
 「町役場のことを昔(明治・大正時代)は、戸長役場と呼んでいました。」
 「平成2年12月 日高町(教育委員会)」

 戸長役場跡の向かいにお堂があった。そして由来が書かれていた。

【優婆尊堂由来】
 正面の御仏前に安置し奉るは越後北蒲原郡笹岡村出湯五頭山華報寺の優婆尊の御分身なり本地昆廬舎那佛の御座跡にましくて衆生應化の大慈悲なり昭和十二年八月この尊像を本堂に安置してより難病難産の苦難よけの祈願をなす者多く書人の禮讃日々に加わる

 少し走って日高神社まで来る。お参りすると石碑が二つ立っていた。日高町の開村記念碑などである。裏面の碑文は逆光と、劣化で読み取れなかった。

【日髙村開基五拾年記念碑】日高町宮下町3丁目
 (裏面は読み取りできず)

【開村記念碑】
 上記のとおり刻まれ、「日高支庁長(氏名不明)」と添えられていた。裏面はほとんど読み取れず、かろうじて「開村三十年」だけが読み取れた。

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