帯広市の史跡(栗山橋等)

基盤整備記念碑

令和7年(2025)11月30日(日)約4㎞(約50分)

 今日の水泳大会は1種目だけで少し運動不足なので、帯広市内で散策していないところを歩いてみる。腰のためには走ってはだめなのだ。
 オベリべリ温泉に車を停めて、札内の方に歩いていき、河川敷の方に入ると栗山橋の説明版があった。

【栗山橋跡】帯広市東14条南5丁目1-1
 明治29(1896)年の農地貸付開始により本州各地からの移住者が増え、橋の無い札内川は十勝内陸部の開発にとって大きな障害になっていました。そのため、明治31(1898)年栗山恒次郎氏によって私設の栗山橋が架けられました。
 しかし、この橋はその年の大洪水に流され、翌年再び架設されました。人は片道1銭、馬は2銭という有料の橋でした。明治40(1907)年に寄附により官設の栗山橋となり、大正11(1922)年には札内橋と改称されました。
 その後も数回にわたり架換工事が行われましたが、昭和32(1957)年にこの地より550メートル上流に移動して永久橋となりました。

 堤防沿いに北の方に向かうと治水の森公園があった。公園内に石碑を発見。

【川は先祖を辿る】
 石碑の正面には上記のとおり刻まれ、その横に碑文があった。一部苔むして読み取れない。「十勝川治水七十年の碑 建立趣旨 母なる川 十勝川 その広大な流域は、かつて人跡未踏の原始境であった。明治時代に晩成社をはじめ多くの人たちにより開拓の礎が築かれた。開拓当初の十勝川流域は、大雨のたびに濁流荒れ狂う大洪水に見舞われ、流域の人々は幾度となく大自然の猛威に苦しめられていた。このため、流域住民の熱望ぬよ大正元年、十勝川治水同盟会が設立された。その後、大正十一年八月に大洪水が発生し、これを契機に同十二年七月十勝川治水事務所が帯広に解説され、ここに十勝川の本格的な治水事業が開始されることとなった。以来、先人たちの労苦によって治水事業と流域の開発が進められ、七十年を経た今日広大肥沃な大地とうるおい豊かな水田環境が創られた。十勝川治水の父・斎藤靜脩(さいとう・せいしゅう)先生は、自然の征服に非ず(不明)。「川は先祖を辿る」と、治水を司る人への警鐘を発している。本記念碑は靜脩先生の教えをここに記し、先人たちの偉業を称えるとともに、来るべき二十一世紀に向けて治水事業の推進と流域の発展を祈念し建立するものである。
 十勝川治水七十年記念事業 実行委員会」
 

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