令和8年(2026)3月1日(日)札幌市南区真駒内泉町1丁目(エドウィン・ダン記念公園内)
【ツル夫人とアイヌと2頭の馬】
ツル夫人はダンの指導を得て乗馬はなかなか巧みであった。ある時ダンは新冠から札幌への帰途、病のため途中で休養したが、ツル夫人は心配のあまりアイヌ一人を従えて140㎞を15時間で駆けて行き、ダンを驚かせた。ダン夫妻はそこでアイヌの鮭祭りを見て楽しんだ。
【屯田兵とダン】
ダンは明治11年に江別太に入地した屯田兵の農業設計を頼まれ、日本で初めての有畜輪作農法を採用し、とくに排水に土管を用いた。この農業設計は欧米の技術を初めて取り入れたことで意義が深い。
【クラーク博士とダン】
札幌農学校のクラーク博士は、北海道に甜菜を栽培することに非常に関心を持っていた。ダンは明治11年から3年間にわたり、農学校のペンハロー教授とともに、12品種の甜菜栽培試験を実施した。これが北海道における甜菜耕作の初めである。
【馬の放牧地から恵庭岳を望む】
札幌から50㎞離れた恵庭の漁(いざり)に800haの自然放牧地を造成し、家畜を夏季放牧した。これは今日の草地開発の起原ともいうべきもので、その達見には敬服の外ない。この牧場は後に真駒内種畜場の分場となった。


【真駒内種畜場の上空からの模型】
【明治後期の真駒内種畜場】・・・明治44年、現在の曙町4丁目から南西方向を見る。


【北海道立新得畜産試験場】
ダンの建設した真駒内牧牛場は、北海道立種畜場となり北海道畜産の発展に多大な貢献をしたが、昭和20年に米国駐留軍キャンプ地として接収されたので、その代替地を十勝の新得町と定め昭和21年に牧場の建設に着手した。現在は北海道立新得畜産試験場として、乳牛、肉牛の繁殖、育成、飼養管理及び草地に関する試験研究を業務とし、北海道の酪農畜産の主軸として活躍している。絵は昭和44年晩秋の牧場中心地区の風景である。
【農林省新冠種畜牧場】
ダンは明治11年新冠牧場を整備拡充し、馬の改良と繁殖に努めその産馬は横浜競馬に優勝、全国博覧会に入賞する等新冠産馬の名は天下に轟いた。新冠牧場は開拓使廃止後は御料牧場となり馬の牧場として名声を挙げたが、昭和21年農林省に移管され種畜牧場として乳牛の改良に貢献している。絵は、昭和45年新緑の頃の種牝牛舎付近の風景である。
【馬とプラウ】
明治9年、札幌から8㎞離れた真駒内の鬱蒼たる原生林を切り開き牛の牧場と酪農場を創設し、乳牛の改良増殖、飼料作物の栽培、農機具の操作など米国の新しい農法を実習生に指導、現在の北海道農業の基礎を確立した。


【宇都宮敬貴氏】
敬貴はダンの高弟金弥の長男として真駒内牧牛場の官宅で生まれた。札幌農学校卒業後直ちに渡米10年間酪農を学び帰国後石狩樽川で牧場を始め次いで江別市に移転し今日の町村牧場を築き上げた生粋の酪農人で乳牛改良、土地改良、牧草普及に尽くした功績は余りにも有名である。正四位勲二等藍綬褒章その他数々の表彰を受け参議院議員に選ばれたのも当然である。
【大日本帝国憲法発布記念章授与の証】
【感謝状 故エドウィン・ダン殿】




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