佐呂間町富武士の開拓記念碑

開拓記念碑

令和8年(2026)3月22日(月)佐呂間町富武士

 佐呂間町市街からサロマ湖に抜ける道道961号線を北上すると、富武士(「とっぷし」と読むらしい)集落にさしかかった。この辺はトップファームの牛舎群が立ち並ぶ。富武士小学校の跡地は、トップファームの事務所が立ち並び、敷地内に石碑があった。それは小学校跡の記念碑だった。

【心根】
 茶色の石板に上記のとおり刻まれ、その下の碑文には次のとおり刻まれていた(学校の歴史なので略)。

 もう少し北上し、富武士神社のところに開拓記念碑があった。

【風雪に耐え試練を克服して開基八十周年記念碑】
 上記のとおり長い文章が刻まれていた。その下の碑文には次のとおり刻まれていた。「碑文 大正元年(1912)七月この地に小野駒吉氏を団長とする宮城県人 大槻徳治氏、井上孝治氏、井上長次郎氏、八島昌吉氏五名と、同年十一月千頭茂馬氏ら六名の高知県人の入地定住をもって開基とした。翌二年には、岐阜県人山崎武三郎氏広島県人金光市太郎氏に続き全国各地から来住、開拓に努力し、漁業については、大正三年秋田県より船木長次郎氏が来住、然し何れの地にあっても人跡未踏なお暗い大密林、相見ゆるは、熊狐狸の往行と厳しい風雪と闘いながら塩をなめ麦を踏む、困苦缼乏の生活であったが、部民挙げて逞しい愛郷精神を高揚、子弟の教育をはじめ生産と生活の基盤形成に情熱を注ぎ逐年成果を収めつつあったが、昭和初期に於ける連続的な冷害凶作、漁業資源の枯渇による経済不振、更には、世界大戦による経済の大混乱と有能な人材の消失は、八十年の歴史過程に於ける最大の惨事であった。戦後十数年の占領政策下にあったがよく和衷共同英知を結集し部内の復興と新たな開発に努め今日の安定的発展を成し遂げたのである。ここにそれぞれの世代における先人の偉業を顕彰し、試練に耐えた八十年の貴重な歴史を後世に伝へ一層の飛躍発展を希って記念碑を建立する。」裏面には「平成五年十月吉日建立(以下略)」と刻まれていた。

 その隣には、開基四十周年記念碑が建立されていた(内容略)。

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