太櫓チャシ

城郭・チャシ

平成26年(2014)3月9日(日)9時半頃出発 北檜山~兜野~川尻(太櫓チャシ)~ベニカモイ~サキリンカンナイ~オンコヤチ~若松トンネル~北檜山 17.3km 2時間19分

 昨日は飲みすぎてしまい、当初考えていたこの春に廃止される江差線の旅とランニングはまた、後日にすることに。
 昨日までの荒れた天候とはうって変わり、日差しもあり、暖かい日曜日になった。暴飲暴食で少し太ってきたのと、今度の土曜日に30kmの長距離ランを控えているので、走りに行く。
 せたな町内はほぼ走りきってしまったが、とりあえず南方に向かう。今日の一つの目的は、太櫓川河口にある「太櫓チャシ」に登ることである。ゴミ焼却場近くに神社の鳥居を発見。ここにも人が住んでいて、神社を建立していたのだ。
 太櫓川河口を過ぎるとチャシがあった。ちなみにチャシとはウィキペディアによると次のとおり。
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チャシとは主に近世にアイヌが築造したある種の施設の名称である。知里真志保によると、チャシとは山の上にあって割木の柵を巡らせた施設を指す語であるとされる現在では、チャシの用途は複数あり、時代を経るにつれてチャシの主用途は変化していったのではないかと考える研究者が多い。すなわち、最初期のチャシは聖域としての性格が強く、次いでアイヌ族内での緊張状態の影響からチャランケの場として用いられるようになり、和人との戦いが激しくなると軍事施設としての役割が大きくなっていったのではないかとの見方である。さらに宇田川洋はチャシコツから宝物が見つかることが多いことを指摘し、チャシはアイヌの富裕層が蓄積した宝物を保存する施設だったのではないかとの説を提出している。

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 お城だったのか、チャランケという会合を行う場だったのか、又は祭祀を行う場だったかはわからないが、アイヌの人が集っていたことは間違いない。アイヌの人が集っていた古えを思い、チャシの上に立つ。北には瀬棚の風車と狩場山が微かに見え、南には太櫓方面の岩場が広がる。
 その後、少し戻り、栄方面に向かう。ベニカモイ集落の手前の岩の上に建物らしきものを発見。夏の間は葉っぱで見えないのだが、冬のランニングにはこうした発見もあるのでやめられない。夏のランニングで発見した鳥居から登山道・参道の痕跡がわずかながら残っている。ランニングシューズながらズボズボ雪に埋まりながら登ると、岩の上に神社の社が建っていた。もう何十年も管理・お参りされていないようだ。おそらく自分が何十年ぶりにお参りしたひとに違いない。神社からは木立の中からベニカモイの水田地帯、太櫓川、海岸方面も見える。
 しばらく佇んで参道を下り、栄方面を経由して北檜山市街に帰りました。

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