令和6年(2024)3月10日(日) 音更町西中音更
鹿追町から本別町に帰る途中、国道の一本南側を走っていると、音更町西中音更神社のところに石碑を発見した。
【豊庫】碑
自然石の表面に黒御影石に「豊庫」と刻まれ、その横に説明板があった。次のとおり。「由来 当地は 通称開放地と呼ばれ昭和四年農林省十勝種場所用地の払い下げにより 昭和五年三月 開拓最初の鍬がおろされたこおとに始まる うっ蒼と丈なす葦が繁茂し ヤチ坊主が条をなす大湿地地帯であった この地を拓いた先駆者たちは未来の大農場地帯を夢に描きこの大自然に挑んだ その後 入植者が日を追って増すに従い 将来を託す子弟教育が急務となり 重なる悪条件の中で 昭和六年十月十六日 西中音付け特別教授所を 誕生させるに至った 以来人も馬も骨を削り身を切る思いで幾度となく寄せくる冷害凶作と闘い 変遷する歴史の中で楽土建設の灯をともし続け確固たる 豊庫 西中音更の基盤を築いた ここに先人の地と汗と涙の足跡を偲び 五十年を迎えることを誇りとし住民の和と創造を基に永劫の隆昌を祈願し之を建立する 昭和五十五年七月二十日 西中音更開基五十周年 西中音更小学校開校五十年 記念協賛会」
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