八雲町落部(御所の松・弁開凧次郎)

古木

平成25年(2013)3月31日(日)10時頃出発 八雲町落部 6.8km58分

森の実家からせたな町に帰る途中、八雲町落部界隈を走ることに。駅に車を停め浜の方にメインストリートを走る。若干ではあるが商店街もある。浜の方では、ホタテの稚貝処理の作業をしていた。神社も2箇所あるが、あまりお参りしているようではない。市街から高台に抜け、酪農地帯を抜けて、高速道路のトンネルの上を通り、最後につつじ公園で太気拳の稽古をして帰る。

【御所の松の由来】
 明治33(1900)年に東宮殿下(大正天皇)のご成婚祝いに、当時落部の有力者であった辨開凧次郎と村岡格が上京し、東宮御所でアイヌの盛装をし、古来の習慣にしたがってイチンケ(亀という意味)、サルルン(鶴という意味)と名づけた子熊2頭を献上しました。
大変喜ばれた明治天皇と東宮殿下は、京都御所のアカマツの実から天皇ご自身が育てられ、「御所の松」と命名された苗木を二人に賜りました。この光栄を子孫に長く伝えるため、凧次郎はこれを植え育てました。その苗木が立派に成長し、記念樹として落部八幡宮の境内で育っております。

【弁開凧次郎】
 弘化四年(1847)~大正八年(1919) 落部に生まれ、牛馬商を営む。明治33年東宮殿下(大正天皇)の御成婚を祝って子熊二頭を献上し、このときの盛装の姿が、小学校国定教科書(地理)に載る。明治35年青森第五連隊の八甲田山遭難事件が起きた時、軍の要請があり、同族の者八名とともに、三週間にわたり捜索に従事した。

コメント