令和6年(2024)6月30日(日)芽室町北伏古
上帯広から帯広向かう途中、道道214号線沿いに北伏古開拓碑があった。周囲はマリーゴールドが植えられ整備されていた。ここの碑文は生活面の記載が多い。
【北伏古開拓碑】
四角い黒御影石の表面には上記のとおり刻まれ、「芽室町長中原孝一書」と刻まれ、その下の石板にはたくさんの寄贈者芳名が刻まれている。裏面には碑文があり、次のとおり概要が刻まれていた。「明治32年の鍬入れ以来 昼なお暗い原始林は隅々まで耕地になり農畜養魚生産は合理的に機械化され 構築された道は永久橋でつながり四通へ達し 教育は幼少年期は言うに及ばず成人の粋まで広がり福祉館を拠り所にして高齢者は仲間とともに余生を楽しむ 家庭には娯楽の通信網あり でかける時は自動車を運転し 食しては全戸米飯を用いる
帯広川を挟み東西に変改した十六平方キロの里に九十戸そして五百人が豊かに住む 北伏古地域の美事な発展を憶うとき 野澤次郎を始め幾多の開拓の先人並びに父祖4代に亘る血の汗したたる労苦に深く首を垂れるものである
吾れ等は子孫永劫に此の強度を愛し益々進展させることを誓うものである
此の度の輝かしい開拓80年の年を迎えるにあたり熱い感謝と堅い決意を述べるとともに記念としてこの石碑を建てるものである
昭和54年9月5日 北伏古開拓記念碑建立期成会
その後豚丼を食べる。
「ぶたどん処 ぶた屋」北海道帯広市西23条南1丁目21
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