虚空蔵山・高楯城

城郭・チャシ

令和6年(2024)7月6日(土)上山駅~土矢倉古墳群~上山藩校明新館跡~武家屋敷~上山城跡・月岡神社~虚空蔵山(354m)・高楯城跡~春雨庵 14.1km 3時間13分

 上山城をあとにし、街の外れに小高い急斜面の山が見え、頂上に赤い建物らしきものが見える。とても気になり、ネットで調べると、虚空蔵山という山であり、お城跡でもあるらしい。これは行かねばと、暑い中向かう。当初は上山城の中で、高楯城への案内道があり行こうとしたが、途中、グーグルマップに切り替えていったが、道が間違っていた。グーグルマップに頼るのをやめて、当初の記憶と感で進むと登山口があった。しかし熊注意である。北海道の羆ではないので、また低い山だから何とかなるだろうと考え、道を進む。
 登山口らしきところに到着すると、登山道を工事中だから通行止めだという。このため、う回路らしき登山道を登っていくとあっという間に頂上に到着。頂上には鐘があり、赤い屋根の社があった。

【高盾城】
https://oshiromeguri.web.fc2.com/dewakuni/takadate/takadate.html

から転載。
 高楯城は、応永初期ごろ(1403ごろ)に斯波満長によって築かれました。斯波氏はこの高楯城を代々の居城とし、名も上山氏、または武衛氏と称しています。
この高楯城は、米沢城を中心とする置賜地方を領した伊達氏と接する境目の城であったため、伊達氏との攻防が続き、永正17年(1520)には、伊達稙宗の侵攻により一旦落城するものの、天文4年(1535)には、上山(武衛)義忠が伊達氏から城を奪還し、新たに上山城を築きました。
慶長5年(1600)の長谷堂合戦(慶長出羽合戦)の際には、最上方の上山氏はこの高楯城に拠り、上杉軍を迎え撃ち、山形城の最上勢としては、唯一勝利を得たと言われています。

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