本郷台→港南台→洋光台→新杉田

旅ラン

平成23年(2011)3月27日(日)
7:45本郷台環状4号→中野町→元大橋→本郷台駅前→洋光台駅前→9:00新杉田駅

 大震災以降、全然走れなかった。今日はお休みをいただけたので、少し走ることに。余り遠くにも行けないので、近場で走っていない、本郷台→港南台→洋光台→新杉田を走ることに。
 環状4号から中野町バス停を左折して元大橋を走る。登り着くと2月に三浦半島1周ランのスタート地点の港南台西公園。そこから港南台の高島屋横を撮って、洋光台駅へ。洋光台駅を過ぎて、環状3号に出てしばらく走りと新杉田駅でした。新杉田駅近くに杉田八幡という神社があり、狛犬が普通の狛犬らしくない狛犬で、文化財に指定されていました。

【杉田八幡宮】
 永承5年(1053)源頼義公が陸奥守として、その子義家公と共に勅を奉じ奥州に赴き、阿部宗任を打ち貞任を降して奥州の乱(前九年の役)を平定しました。その後、戦勝を祝し、父子相議し、出陣に際し源氏の氏神としてご加護を祈願した山城國(京都)の石清水八幡宮を勧請し、父源頼義公は相模國由比郷に若宮八幡宮(現・鶴岡八幡宮)を、子源義家公は武蔵國杉田郷に若宮八幡宮(現・杉田八幡宮)を創建し永く源氏の武運長久を祈願しました。その時が康平6年(1063)8月と云われています。年を経て建久3年(1192)、右大将源頼朝公より社領を授けられ、久良岐郡の総社と定められました。延宝2年(1674)に時の領主 間宮左衛門尉信廣公が社殿を再興、永一貫三百文の田園及び山林を寄進して久良岐郡12箇村(寺下、門前、中里、栗木、中原、雑色、公田、磯子、門前、滝頭、根岸、芝生)の総社となりました。同年、同所に日蓮宗一宇を建立し、間宮山妙観寺と名付け、当社の別当としました。天文5年(1740)9月、間宮家が他所に移住するに至り、当社も衰退し、総社の名を自ら廃滅することとなりました。明治四年(1871)、神仏分離令により、妙観寺は当社別当職を解かれました。明治6年(1873)、村社に列せられました。

 しかし、走っていて思うのは、住宅が密集しすぎている。これからは、もっと各住民が食糧を自賄いすべきで、農地をもって分散すべきと考える。

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