佐呂間町知来の石碑

石碑等(開拓記念碑)

令和6年(2024)8月17日(土) 佐呂間町知来地区

 佐呂間町市街を過ぎ、道道103号線を走ると、知来地区の市街に差し掛かる。旧校舎があり、そこに石碑があった。

【開拓記念碑】
 上記のとおり表面に刻まれ、その下に「佐呂間町長 船木長一郎書」と刻まれ、その下には「先人の偉業を讃えて 知来部落開基80年 知来小学校開校75年 記念事業協賛会 昭和55年5月建立」と刻まれていた。
裏面には次のとおり刻まれていた。「知来の開拓は、明治34年のサロマベツ原野殖民地区割がなされた翌35年、泰泉寺広馬氏が14号~16号間12戸分の無償払い下げを受け、開墾に着手したのが部落開拓の初まりとされている。明治36年より入植者相次ぎ、明治40年にはすでに部落組織もでき、初代組長に小野常次氏が選出され、同時に部落名を智来と定めた。知来小学校の開校は、開拓者20余戸を数えるに及び、学令児童に対する教育の必要から、組長率先して部落民と協議し、8線17号に常呂村沙留間第一教授所として開設したのが明治41年1月31日である。開拓者の日常は困苦欠乏に耐え度重なる水害冷害に悩まされ苦難の連続であり、爾来幾星霜数多くの先人の努力が現在の知来の発展をみるに至ったのである。よって先人の不撓不屈の開拓開校の精神を顕彰するため部落開基80年開校75年を記念し記念碑を建立す。

 その横に、新しめの記念碑もあった。

【温故知新】
 上記のとおり刻まれ、「佐呂間町長 堀次郎書」「知来記念事業協賛会」「開基100年・開校95周年記念」と刻まれていた。その下に小学校の校歌の碑があり裏面には、入植者の氏名や地図が刻まれ、碑文もあった。「碑文 流動激変の20年間を経てここに知来開基100年小学校開校95周年の輝かしい節目を迎えるに至った この間 地域においては90戸 391名の住民が75戸 257名に激減する中二度に亘る水害に見舞われ また国鉄湧網線廃止、農協支所廃止、郵便局廃局等少子化離農による地域の過疎化に耐え忍んできた一方、地域振興の思いは強く、公民館建設、知来八幡宮拝殿建設、サロマベツ川河川工事等知来の発展を願う郷土愛も益々向上した。知来小学校も開校以来およそ1400名の卒業生を数え各地で活躍中である。また校舎屋根、外壁塗装、トイレの水洗化、花壇整備等施設整備の充実に尽くした。さらに教育実践校とし教育振興に寄与してきた。ここに21世紀への架け橋として、諸先輩の御努力に敬意を表し、先人の偉業を受け継ぎ、温故知新 愛郷の限り無き進展と繁栄を祈念し、この記念石碑を建立する。平成11年11月13日 碑文作 鈴木武幸」

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