中札内村~帯広市清川

石碑等(開拓記念碑)

令和6年(2024)9月28日(土) 中札内村道の駅~帯広市上清川~清川 20.1km 2時間49分

 今日は走ったことがない、帯広市の清川地区を走ってみることに。グーグルマップ上では史跡は出てこないが、何かあるだろうと目論。また、最近のトレーニングは水泳にシフトしてきており、10月上旬にハーフマラソンが控えていることから、その練習も兼ねる。
 中札内村の道の駅を出発。道道58号線を走り、途中から上清川の方面に、特段の集落もなく、史跡もないが、上清川神社はあった。

 右折して清川地区に到着。ちなみに白樺ジンギスカンで昼食しようと思ったが、混んでいてあきらめた。保育所のところに石碑があった。
【豊穣水清流】帯広市清川町西2線125番地
 自然石に上記のとおり刻まれ、その横に碑文があった。内容は次のとおり。「清川明渠の受益を受ける豊西、清川、大平各地区は排水性が悪く、春の融雪期、秋の台風時期には毎年畑の冠水、および流失を繰り返し、その被害は甚大なものであり、地域にとって明渠排水の整備は入植以来の悲願であった。当地域は昭和20年2月、国内食料自給体制確立を目的とする北海道土地改良五か年計画に基づく割当制による土地改良において、当時の村長、武田粂吉個人名で工事を請け負い、関係部落会が協力し着工したところであるが、終戦混乱期に見舞われ、工事中止の止むなきに至った。しかし、その後においても受益者の願いは捨て難く、永年に亘り関係機関への陳情を続けてきたが、昭和49年に直轄明渠排水事業を取り入れることとして、受益者による国営清川地区直轄明渠排水事業促進期成会を結成し、地域一丸となって事業の促進に努め、関係機関の御協力のもとに、昭和50年に国営清川地区直轄明渠排水事業が着工し工期17年の歳月をかけ完成をみたことは受益者はもとより地域住民挙げての喜びであります。ここにその竣工を記念し、この碑を建立する。平成3年9月11日(以下略)」

 清川地区をあとにし、国道236号線に向かう途中、札内川を渡る手前に、橋の竣工記念碑があった。
【中島新橋 竣工記念碑】
 石碑には上記のとおり刻まれ、その下に「十勝支庁長 内藤健一」と添えられていた。裏面には碑文があり、次のとおり刻まれていた。「竣工にあたって 中島新橋の左岸に位置する中島町地域は明治33年下帯広村の大井上前が250町歩の農牧用地の貸し付けを受け、「大井上農場」を創設したことに始まる。当時、戸蔦村に属し札内川と岩内川に挟まれたこの地域は、アカダモ、ヤチダモ、トド、オニグルミ、シコロ等の巨木が天をつき、下草は五尺から六尺の熊笹におおおわれた密林地帯であったという。それだけに開墾は困難を窮め特に農畜産物及び物資の輸送には札内川が障害となり、橋を架けることが開拓当時からの悲願であった。そのため関係受益者が永年にわたり関係機関に陳情を重ね、今回ここに十勝支庁を始め関係者の御尽力により中島新橋の完成をみたものである。今後農畜産物等の輸送並びに地域振興に果たす役割は計りしれないものがあり中島町のみならず近隣町村の隆々の発展を約束されたことを心から喜ぶとともに関係機関の方々に感謝するものである。昭和63年10月」

 最後は国道を通って中札内市街に戻る。

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