朝日浅吉翁胸像・頌徳碑(浦幌神社前)

石碑・銅像・胸像(歴史上の人物)

令和6年(2024)10月5日(土)浦幌町道の駅~(道道597)~稲穂地区~(道道948)~吉野地区~(国道38号線)~道の駅 19.4km 2時間45分

 今日のランの最後、浦幌神社のところに胸像と石碑があった。

【朝日浅吉翁之像】
 胸像の下に上記のとおり刻まれ、「北海道知事 町村金五書」と添えられていた。碑文には次のとおり刻まれていた。「浦幌名誉町民 故朝日浅吉翁は 明治十五?年福井県で出生 明治30年北海道の開拓を志し渡道 居を浦幌町字活平に定めるや 福井県及び広島県より小作人の入地をはかり180余町歩の未墾地を墾き 駅逓業と牧畜業を経営 昭和2年優れた体験者として北海道の委嘱に応え移民の招聘に挺身爾来衆望を担われ 明治43年浦幌町議会議員として村政に参画 さらに学務委員 農会評議会 農地委員及び農業委員会会長等数多くの公職を歴任 昭和32年高齢のため公職を辞任されるまで星霜実に40有8年その生涯を本町の行政 産業経済の発展 教育文化の隆盛並びに町民福祉の増進に尽くされ 特に農業及び畜産の振興発展に寄与された翁の功績は本町のみならず十勝の産業開発進展の上に大きな貢献をなしたものとして陸軍大臣 農林大臣 建設大臣及び北海道知事からの表彰の栄誉を受け、本町開拓の慈父として衆人斉しく景仰して止まらざるところ ここに円満玲瓏玉の如翁の人格と徳望とを敬慕する人による翁の胸像を建立し もって名誉町民故朝日浅吉翁の功徳を構成に伝えんとするものであります 昭和41年7月建立」

 その隣に「頌徳碑」があり、裏面に文字が刻まれていたが、判然としなかった。

 

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