令和6年(2024)10月14日(月祝)11.6km 1時間38分 栗山町道の駅~(国道234号線)~角田地区~(くりやまハーフマラソンコース)~共和地区~道の駅
今日の目的地、角田地区の開拓記念館等を訪問する。ここは平成28年5月に訪問しているが、詳細なレポートができていなかった。訪問すると前庭に石碑が二つあった。二つとも文字が判然とせず、横の説明板を転載する。
【開村三十周年記念碑】
大正6年11月建立 仙台藩角田支藩が明治維新後、明治2年北海道室蘭支部に赴き、その地狭く自給するに足りず、夕張開墾企業組合を組織し泉鱗太郎を社長に、明治21年5月阿野呂原野を開拓する。次いで林梅五郎、渡辺大介等も移住する。艱難辛苦を乗り越え角田村を創立。札幌農学校学田を設け、真成社を設けて開墾を営む。栗山停車場成る。子爵実吉安純、男爵高木兼寛、湯地定基、石橋彦三郎各々農場を開く。福井正之、伊藤廣幾、来住。一大事業灌漑溝を夕張川から入れ水田造成をなす。以後の角田村の隆盛の有様を記している。詳しくは、泉記念館の解説資料に掲載されています。
【泉鱗太郎君記念碑】
明治33年8月建立 水利事業完成によって村を興した泉林太郎の功績を讃え、「村中一同」の名で泉鱗太郎記念碑が明治33年8月に角田神社境内の東側の広場に建てられました。この資金は村中一般の芳志によるものです。詳しくは、泉記念館の解説資料に掲載されています。
【泉記念館】
現在の建物は、明治31年に栗山町発祥地に建立したものを開基30周年(昭和53年度)にあたり修復したものであります。泉林太郎翁は、栗山町の開拓功労者であり北海道の開拓功労者でもあります。
略歴
天保13年4月 角田藩で生まれる
明治21年3月 夕張開墾企業組合創設
21年5月 栗山町角田に同志7戸24人と移住、開拓指導
26年 高瀬和三郎とともに水稲試作成功
昭和4年7月 栗山町角田で永眠(享年88歳)
公職 角田郵便局長、角田村村会議員、角田村村長、北海道議会議員、角田村土功組合長(26年在任)、角田村農業会長(22年間在任)
褒章 藍綬褒章(開拓功労)、叙従6位(開拓自治功労)
開拓記念館の中を訪問する。勝手に写真を撮影。
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