嶋木遺跡・上士幌開拓の碑・上士幌神社

石碑・銅像・胸像(歴史上の人物)

令和6年(2024)11月10日(日)道の駅かみしほろ~嶋木遺跡・上士幌神社~(道道806号線)~上音更~新村牧場~(道道337号線)~道の駅

 快晴予報なので、まだ走ったことがない上士幌を走ってみることに。今日の目的地はグーグールマップで表示される嶋木遺跡を通って、遠回りで新村牧場を訪問する周回ランニングである。
 道の駅かみしほろに停めて、国道を北上すると嶋木遺跡があり、その裏手が神社である。神社がある広場を訪問すると、思いもかけず開拓記念碑と開拓功労者の石像を発見。ラッキー、これだから史跡訪問ランはやめられない。

【嶋木遺跡】士幌町字上士幌東4線
 昭和61年8月1日子弟。上士幌町指定文化財。嶋木遺跡は、上士幌市街の東側、音更川左岸段丘(北居辺Ⅱ面)の西側の縁、標高約290mに位置する、約2万年前の旧石器時代の遺跡で、堂内では最古の人類生活を残す遺跡の一つとして知られており、考古学研究上そして町民にとって貴重な文化財です。
 昭和42年、国道241号改修工事の際に発見され、昭和59年に行われた国道241号歩道工事に伴う緊急発掘調査では、皮をなめすときに使用されていた掻器(そうき)という石器など約6500点の遺物が出土しました。その後オ大学等による学術発掘調査が行われ、本遺跡の年代決定や、約2万年前の氷河期の最も寒い時期に、人類が此の地でどのような生活をしていたのかについての解明が進んでいます。
 これまでの調査の結果から、旧石器時代のシベリアとの北海道の人類文化の関係を考えるうえで、本遺跡は重要な位置にあるということがいえます。平成29年3月 上士幌町教育委員会

【開拓之碑】
 正面には上記のとおり刻まれ、石碑の上には通常にはない近代的なデザインのオブジェが置かれていた。裏面の碑文には次のとおり刻まれていた。「碑文 明治39年富山県人安村治髙丸氏一族の入植を初めとし幾多先人の困苦欠乏を克服した開拓者精神につちかわれて 今日隆昌をみるに至った郷土 上士幌町 昭和6年士幌村より分存して40年の今日先人の功績を讃えるとともに町民一丸となって末永き繁栄への努力を誓うものである。昭和45年8月誌 上士幌町」

【安村治髙丸翁像】
 開拓之碑の隣に翁像があった。自然石の上に鍬を担いだ翁像が置かれていた。裏面には碑文があり次のとおり刻まれていた。「碑文 厳寒凛冽の北稜 朔風羽が荒ふ欝蒼たる太古よりの原始の地に気宇壮大にして凛然の気概をもって新墾の先駆をなした安村治髙丸翁の事績を讃え開基50周年を記念しこれを建立する 1981.11 安村治髙丸 ブロンズ像建立期成会」

【上士幌神社】
 同じ敷地内の上士幌神社に参拝する。以下はネットから拝借。「上士幌町の開拓の祖である安村治高丸が、明治40年小作農家10余戸と共に移住をし、郷里である富山県早星村に小作人の1人である高木太助を遣わし、早星神社の御祭神「五百筒磐石神」の御分霊を奉斎したのが大正2年2月のことであり、これを創祀とする。当時は現在のように交通機関が発達していたわけでなく、山を越え海を渡りこの上士幌にたどり着くまで高木太助は拝受した御霊代を自分の背中にくくりつけ、船の中でも不眠不休でお護りをし、自分の任務を果たした。その後、現在地に社殿を造営、昭和12年5月15日付けで無格社として創立許可を受け、昭和17年9月3日付で村社に昇格した。」

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