西士狩開拓七拾年記念碑・芽室町発祥の地

発祥の地

令和7年(2025)4月12日(土)芽室町内量販店駐車場~道道54号線~関山神社・開拓百年之碑~農道を東に行く~農道を南下~道道75号線を東に~西士狩神社~駐車 約19km 2時間30分

 関山地区をあとにして西士狩神社に向かう。西士狩の開拓百年記念碑は道道75号線沿いにあったが、その少し南にも神社があったがレポートできていなかった。西士狩神社もお祭りの準備らしく、その横に開拓記念碑があった。なんと、その近くには芽室町発祥の地碑もあった。ダブルでラッキー。そして、そこから帰る途中にここに入植した三人衆の一人、高橋利八入植の地碑もあった。この地は晩成社幹部による開拓地でもある。
 今日の史跡訪問ランニングは、トリプルラッキーである。しかし、このところランニングの練習不足で後半は疲れてヘロヘロになった。

【西士狩開拓七拾年記念碑】芽室町西士狩北4線42番地
 石碑の正面には上記のとおり刻まれていた。裏面には次のとおり碑文が刻まれていた。「略歴 回顧すれば七十年前の明治十九年六月シブサラ(西士狩)原野に渡辺勝 鈴木銃太郎 高橋利八(晩成社幹部)の三氏始めて開墾の一鍬打下したり之実に本町に於ける和人入地の最初にして亦西士狩開拓の発祥なり次いで木下 大村両氏二十九年富山県三十年石川県其他の諸県人相次いで入植し現在は戸数八十戸に及ぶ 明治三十一年五月廿日大谷派説教場(鳳恵寺)開設 明治三十二年七月五日簡易教育所(西士狩校)設置許可 明治三十四年十月二十日 西士狩神社建立 昭和六年十一月十日バス路線開通 昭和二十二年十一月十五日農村電化の一環として送電 昭和二十八年九月二十日国見祥栄間農道開通 開拓当初は原子の密林天日を覆い草本辺土たりし所今や管内屈指の穀倉地帯として重をなすは先人達の労苦に負うところ多大にして茲に偉業を永く後世に讃えんとす 昭和三十二年十一月十日 西士狩部落会建立

【芽室町発祥の地】
 石碑正面に上記のとおり刻まれ、その右下に「芽室町長 中原孝一書」と添えられている。その下には碑文があり、次のとおり刻まれていた。「芽室町の開拓は明治十九年晩成社社員鈴木銃太郎 渡邊勝 高橋利八の三氏 人跡未踏の原始林のこの西士狩に入植の鍬を入れ農を興したことに始まる 想えば遠く九十三年を閲みて昼なお暗い密林に掘立小屋を建て粗食に耐え厳しい風雪との闘いそして度重なる災害を克服し営々開墾に従事した先人諸氏の苦節の行く歳月この歴史は想像を絶する艱難辛苦の道程であり栄光への道でもあった われわれは先人の不撓の熱汗と不屈の開拓魂を承継しこれを伝承し光輝の未来を創造するより豊かなより文化の香り高い理想郷建設に向かって努力を惜しんではならない 発祥の地この所を卜し偉業を頌徳するため辞を刻してこの碑を建てる 昭和五十余年九月二十一日 芽室町長 中原孝一

【高橋利八入植の地】
 細長い標柱に上記のとおり刻まれ、裏面には「明治三十一年春大村千作が高橋利八氏の土地を借用 児童の教育に当たる この地は本町学校教育発祥の地なりける」と刻まれていた。

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