岩見沢市志文「自作農創設十周年記念碑」

石碑・銅像・胸像(歴史上の人物)

令和7年(2025)5月3日(土) 岩見沢市(北海道教育大学岩見沢分校)~岩見沢市志文~中幌向~幌向駅 約16km

 大学生の子供のサッカーの試合を見た後、岩見沢市志文、幌向に向かって走る。志文で記念碑を見つけた。

【記念碑】
 縦形の石碑の上部に「記念碑」と刻まれ、その下に次のとおり刻まれていた。
 「当農地は明治二十四年三月神奈川県辻村直四郎翁 当時二十二才 若冠 北海道開拓を志し、田学民 貸下未墾地三十余万坪を譲受 翌二十五年五月二十八日 単身入植したるを以て嚆矢とする 夫人跡未踏熊声を聴き野鳥を友として昼猶暗き原生林に只管開拓の斧を振るったものであった 明治二十六年此の地をシュフンベツの川名に因み志文と名付くる 艱難辛苦と困苦欠乏に耐へ原始さながらの生活にひるまず敢闘すること数年その後歳を経る 従い翁の後を追い小作として入植する者次第に増加するに至った明治三十一年大半の開拓を了 越えて同三十三年十一月全地の開拓に成功し無償貸与を受入ることになった引き続き苦闘の甲斐あり立派な畑地となったが大正二年十一月志文灌漑溝の完成にいたって内五十余町歩は良田と成 続いて昭和四年北海道土地改良区灌漑溝完成により一躍現在の如き豊沃の美田となった一方交通文化も著しく開け住み良い農郷となった 昭和十三年四月農地調整法の公布に伴い昭和十六年一月以来辻村翁と間に自作農創設の胎動を見過ぎて時遇々昭和二十年八月十五日大東亜戦争の終結するに及んで諸政一転農地改革も取上げせられ急速に自作農創設の機運嵩まり地主と倶に辻村農場自作農創設組合を設立 一部の農地交換文豪も併せ行い三十二戸耕作者に田畑百余町歩が自作農創設さえられるるにことになった 以来全耕作者は益々愛郷の念深まり多年の涓さん努力により年々増収の実をを挙げ子々孫々安住の楽土として日々を悦び睦み皆本業にいそし居り先覚諸士に深く感謝の意を表してゐる 茲に自作農創設十周年を記念し之を建つ 昭和三十年十一月三日 岩見澤市長 川村芳次謹書」
 裏面には記念碑の建設員の氏名が刻まれていた。

 少し進み、志文小学校の手前に頌徳碑があった。石碑が二つあったが、よく読み取れず、おそらく上記のとおり辻村氏の頌徳だろうと思うので、転載は割愛する。

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