有珠外輪山・ミマツダイヤグラム・有珠噴火碑・国鉄胆振線跡

山登り

平成25年(2013)6月22日(土)単独 10:30出発 15:00着 約25km
 今日は、伊達の友達の家に用事があり、お邪魔がてら、途中で壮瞥、昭和新山、洞爺湖を走ることに。
 壮瞥の街の中を走る。走り出してすぐ昭和新山の記録の地、ミマツダイヤグラムの地を見つける。紫明園という開拓の歴史を物語る建物、樹園地を見つける。途中、国鉄の廃線跡も見つける。胆振線というのがあったのだ。その後、伊達方面に南下し、昭和新山方面の道路を走る。これが登りが延々と続くのだ。そして昭和新山に到着。ここは昔、観光でよく来たものだが、やはり寂れた感じがする。三松正夫記念館を訪問後、少し体力があるので、ロープウエーの下を登ろうとするが、道がわからない。あれこれいろいろ動いた挙句、ロープウエーの窓口で聞くと、立ち入り禁止にしているという。がっかりである。駐車場入口には、フットパスコースはあちら!みたいな看板があったのに。それでも気を取り直して、往復1,700円のロープウエーのチケットを買って登る。降り口からは有珠の頂上が近く、そして洞爺湖、札幌方面の絶景が広がる。ここで気を取り直して、外輪山展望台に向かう。帰りは大変だなと思いながら、長い600段もの階段を下る。遠くに見えた展望台も走るとあっという間に到着。伊達や豊浦、噴火湾など絶景が広がる。往復でほとんど人に合わないが、銀沼火口など火口原を堪能しながら走れた。そして、地獄の階段上りと思ったが、たいしたことなくあっという間に終了。ロープウエーで下山し、洞爺湖に抜けて、壮瞥に戻るが、案外遠く、最後は疲れました。

【有珠外輪山】標高520m

【ミマツダイヤグラム観測の地】

【有珠噴火碑】(石碑の横の説明板には次のとおり記載)
 嗚呼天地乃変化波思料難支物也計季去之明治四十三年七月二十二日有珠嶺鳴動吹上留煙波大空呼覆比巌石玉霧斗砕斤散家居世留人民乃気弱手波久保内及蟠渓爾避之支庁興利毛土地乃人々毛皆力平併底防之努来上田事務官大森博士佐藤大井上乃学士等急爾速里現場踏査世季斯天二十五日爾床丹波爆裂西湖畔爾波火噴起都八月上旬爾然奈賀良小支芙峰爾似在留平顕之出之底漸鎮奴如斯留奇蹟平後世留伝武斗碑留彫刻置久留奈武 明治四十四年十一月三日 室蘭支庁長従六位勲六等 服部太郎 誌須

【昭和新山碑】
一 特別天然記念物 昭和新山
二 指定 昭和三十二年六月十九日
三 説明事項 昭和十八年十二月二十八日の地震に始まった有珠岳の活動は翌年六月二十三日海抜一五〇メートルの東麓畑地に最初の爆発を起こした。四カ月に亘る爆発の間に元の畑地は隆起し海抜三〇〇メートル底径一〇〇〇メートルの饅頭状山塊(屋根山)を形成したが、この上に地下で固化した新溶岩が上昇し始め二十年九月最高四〇六.九メートル底径三五〇メートルの溶岩円頂丘に成長した。頂面に円礫を載せ側面に摩擦条線を印しこの様な型式で噴出した溶岩丘は世界でも稀である。(以下、略)

紫明苑に以下の石碑があった。

【橋口文蔵開墾記念碑】

【壮瞥小屋開拓記念樹】
 明治20年壮瞥小屋を建設した時繁茂していた原生林の一部

【国鉄胆振線跡】

【昭和新山資料館 三松正夫記念館】

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