令和8年(2026)3月1日(日)札幌市南区真駒内泉町1丁目(エドウィン・ダン記念公園内)
エドウィン・ダン顕彰碑を訪問後、記念館に寄ってみた。ここは2015年に訪問しているが、詳細はレポートできていなかった。エドウィン・ダンは、アメリカ式農業を取り入れ、道立畜産試験場の前身の真駒内種畜場や当方の初任地の家畜改良センター新冠牧場の前身の新冠種馬場などを設立した、北海道農業の父であり、ご縁を感じる。
【エドウイン・ダン記念館】
この建物は旧北海道庁真駒内種畜場事務所の一部である。明治9年開拓使牧牛場として、エドウイン・ダンの手により創立されて以来、北海道の酪農畜産はこの建物を中心としてこの展開されました。戦後米軍の接収により種畜場は移転しましたので、有志はこの由緒ある建物を撤収するに忍びず、昭和39年にここに移設し、関係資料を展示することにしました。


【馬と短角種】
明治6年5月、開拓使は米国に大量の短角種牝牛を発注。これを受注したA.B.ケプロン(開拓使顧問H.ケプロンの子息)は、その選定のためダン牧場を訪れ、牛の購買とともに依頼されていた開拓使畜産指導者として青年エドウィン・ダンを見出した。ここでダンの一生は決定した。
【枠場の馬】
明治8年5月、函館郊外の七飯官園に東京から家畜の一部が移され、ダンは北海道開拓の第一歩を踏み出した。乳牛、馬、綿羊の飼い方、バター・チーズの製造方法、馬の去勢方法等を指導した。去勢は日本では初めてのことで馬の改良に非常に貢献した。
【2頭の馬】
洪水で困っているのに次はバッタの襲来。牧馬場は28haのとうもろこし畑等がすっかり食い尽くされた。空はキラキラ光る羽で覆われ、地上は何cmもの昆虫の堆積、数kmにわたって青いものは食い尽くされ、まるで砂漠のように。米国では、エジプトの禍と呼んでいるという。



【列車と肉牛】
牝牛40頭、綿羊91頭を積み込んだ貨車5台の列車は5月16日シカゴを出発した。牛・羊を世話するのはダンのほか一人だけ、サンフランシスコまでの19日間不眠不休で荒牛を世話し、さすがに頑強な青年ダンも疲労その極に達した。
【東京のダン】
ダンは、東京官園在勤中、毎朝「ダン」号と名付けた速歩用種馬に軽車を引かせて、上野、浅草、日本橋など街の中を見てまわった。この馬は後に新冠牧場の種馬として良い子孫を残している。
【馬と狼】
新冠の牧馬場で最も困ったことは、エゾオオカミの襲来であった。10日位の間に90頭の子馬が全部食われたこともある。ダンは東京や米国から沢山のストリキニーネを取り寄せ肉に混ぜて撒いた。これで狼は一掃され被害はなくなった。現在北海道にエゾオオカミはいない。
【競馬】
ダンは乗馬が巧みで自身があった。明治10年、札幌(北大農学部敷地)に楕円形の様式馬場を造り、自ら競馬の進行をやるなど競馬の普及に尽くした。明治14年に明治天皇が北海道行幸の際は、ダブリン号で出走して天皇をお慰め申し上げた。




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