令和8年(2026)3月8日(日)十勝郡浦幌町留真506
道道56号線の留真温泉へ行く交差点から少し北側の酪農家の前に、標題の説明版があった。
【中浦幌駅逓所跡】
この地はかつて中浦幌駅逓所の設置されていたところである。江戸時代に設置された「運上屋」「会所」などをもとに、馬の継ぎ立て(乗り換え)と旅行者の宿泊所を兼ねた「駅逓」の制度は、明治5年(1872)の「旅籠屋」あたらめ「駅馬」の設置から始まる北海道独自の制度である。同年は、近代郵便制度が整備された年でもあり、以後、駅逓所は交通・通信(郵便)の要として、全道各地に設置された。いずれの駅逓所も、近代道路の整備に伴い、昭和19年(1944)までに廃止されている。
本別~生剛~大津間の主要道路である通称「二十間道路」には、「上浦幌」「中浦幌」の駅逓所が設けられた。中浦幌駅逓所は明治36(1903)年に設置され、取扱人は中川北松だった。
北松は明治28(1895)に福井県大野郡の出身。長男だったものの生家が農地に恵まれず、栃木県の足尾銅山で鉱夫として働いた。しかし、足尾銅山の有毒な銅の精錬水を垂れ流して鉱毒事件を起こすと銅山を辞め、渡島地方で小作をしたのち、浦幌開拓期を代表する大農場のひとつ「熊谷農場」に入り、管理人を務めた。
妻あきと共に、留真、中浦幌地区の発展に努めた北松だったが、中浦幌駅逓所は昭和3(1928)年に廃止された。
駅舎の部材の一部と壁紙が、浦幌町博物館で保存されている。



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