十勝農業試験場の碑

歴史

令和5年(2023)4月5日(水) 十勝農業試験場

(地独)北海道総合研究機構十勝農業試験場を訪問したら、様々な石碑があった。先人の研究者に敬意を表して転載させていただく。

【移転落成記念碑】
 本記念碑は、昭和35年、当場が帯広市より現在地に移転新築したのを記念して、移転特別功労者・用地調査者の芳名を記し、その功労を讃えて昭和36年9月に建立された。礎石は帯広市川口常夫氏、置石(陸別町銘石「川上石<赤色チャート>)は陸別町より寄贈されたものである。

 隣は、十勝長葉の碑だった。何と刻まれているかよくわからないので、ネットから転載。

【十勝長葉育成功労者頌徳碑】
 十勝農業試験場親睦団体の機関誌「十勝野」第5号(1971,昭和46)に,桑原武司さん(元支場長)が寄稿している文書を引用。

 ・・・昭和二十七年六月十日,新緑が初夏の日差しに映える帯広市で,豆の国にふさわしく,十勝長葉祭が盛大に繰り広げられた。同じこの日農試の前では,頌徳碑除幕式が厳粛にとり行われていた。この碑はその後芽室へ移り,新庁舎中庭の一角に,ほぼ当時と同じ型でたっている。しかしこの頌徳碑が建立されるまでの経緯を詳しく知る人はきわめて少ないので,ここにその時のあらましを記録し,先輩の労苦を知る縁ともしたい。 頌徳碑建立の動機は,昭和二十六年九月四日,十勝地区農民同盟第十回執行委員会の席上,豊頃村の美馬耕一氏が「十勝の農民は「十勝長葉」によって莫大な利益を得ることができたが,品種の育成者に対して何ら報いていないのは誠に遺憾である」との緊急提案に端を発している。
 協議の結果,報恩の資金とするため,まず管内の盟友一人当たり大豆一升を持ち寄ることとしたが,この企てに感動した一般農民も協力することなり,二十七年の春には早くも目標額の三十万円を達成した。そこで碑石には仙台石を運び,碑の題字は当時達筆で名の高かった広川農林大臣に揮毫を依頼することとした。なお大臣からは式典当日功労者全員に色紙の揮毫も頂くことにした。碑の工事一切は農試職員と同盟青年部有志の勤労奉仕によって,五月二十八日無事完了したのである。 式当日農林大臣はじめ多数の祝辞の中で,高倉代議士がいみじくも述べられた次の言葉に,頌徳碑建立の経緯をよく物語るものがあって感慨深かった。「十勝農民同盟といえば,常に農民のために政治活動と闘争に邁進してきたのであるが,この政治活動とは別に,今回病虫害に強い,しかも反収の多い新品種の出現が,十勝農業経済に大きく貢献したことに想いを致し,育成者の功績を永久にたたえるため,頌徳碑を由緒ある農試の一角に建設せられたことは,全国稀にみる壮挙であり感謝に堪えない」・・・
 「十勝長葉」は北海道農事試験場十勝支場において,1933年(昭和8)「本育65号」を母「大豆本第326号」を父として交配を行い育成したもので,1947年(昭和22)優良品種に決定した。第二次世界大戦をまたいで開発が続けられた品種である。 小葉は長葉で,いわゆる柳葉形を呈する。花色は赤紫,毛茸は多く褐色,熟莢色は褐色,1莢内粒数が多い(ほとんど3粒,稀に4粒)。百粒重は20g程度の小粒で,種皮は黄色,臍色は褐色である。伸育型は有限で直立型,倒伏は少ない。成熟期が10月上~中旬で,十勝では晩生種に属する。栽培品種であった「大谷地2号」や「石狩白1号」に比較し,マメシンクイガ被害が少ないことも特性として挙げられている。これは,「十勝長葉」が多莢で小粒であったためと被害回避されたことによると推測されるが・・・。
 
 その隣には、「エリモショウズ記念碑」があった。これは新しい。

【エリモショウズ記念碑】
 「エリモショウズ」は北海道立十勝農業試験場において昭和46年に「寿小豆」母に「十育七十七号」を父とした交配により育成され昭和五十六年に優良品種決定した。本品種は多収で耐冷性が強く品質も優れていることから生産者、実需者に広く受け入れられ、急速に普及した。普及3年目で作付面積が全道一位となり、現在は全道の80%以上、十勝では95%以上を占めている。「エリモショウズ」が道産小麦の安定品質向上に果たした功績は大きく、本品種の育成と普及を記念して、本碑を建立する。
平成七年八月 
育成者氏名 成河智明 村田吉平 千葉一美 松川勲 後木利三 足立大山 佐藤久泰 兼平修

北海道立十勝農業試験場創立百周年記念事業協賛会 会長 佐藤茂

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