紋別市

城郭・チャシ

令和5年(2023)9月3日(日) 紋別公園~オムサロ遺跡公園往復 16.6km 2時間42分

 紋別滞在の早朝、紋別公園に車を停めてオムサロ遺跡まで走ることにする。紋別公園は高台にあり絶景である。公園の上には石碑がたくさんある。「松崎隆一翁望洋之碑(裏面)昭和47年建立」「名寄名誉市民大西眞平翁顕彰碑 鳩山一郎書(昭和32年7月4日建立 紋別市長宮尾貫一)」「慕鳥哀碑」「海難殉職者慰霊碑」「港湾殉職者慰霊碑」。

 オムサロまでは行きは海岸線を走っていく。昨日の疲れか体が重い。天気も良く汗が噴き出てスピードが出ない。それでも何とか紋別オムサロ遺跡公園に到着。熊が怖いが国道から近いので何とかなるだろうと思い。遺跡内を散策。

「北海道指定史跡オムサロ台地竪穴群」の説明板。紋別市渚滑町川向153番地 昭和39年10月3日指定。 時を超えて現代へ オムサロ遺跡へようこそ オムサロ遺跡は紋別市の中心から北西に7km、オムシャリ沼と渚滑にはさまれた標高10~15mの海岸段丘上にあります。全208軒の竪穴住居跡を中心に、縄文時代から続縄文時代、オホーツク文化時代、擦文時代と、各時代の生活の跡が途切れることなく残されています。オムサロ遺跡公園では4軒の復元住居や高床倉を復元し、約1000年前の擦文時代の様子を再現しています。また遠路沿いにはアイヌ民族が食用や薬用に使った植物が植えられており、四季の花々を楽しむことができます。 おむさろの擦文時代の生活 かつてのオムサロ周辺は渚滑川が遺跡の前までのびていて、魚介資源が満ち溢れていました。遺跡の背後は森林で、動植物にも恵まれていたことでしょう。こうした自然の中で、擦文時代の人々は四角形でかまどがある竪穴住居に住み、川や海での漁労を中心に狩猟や採集をしながら生活していました。また、ソバやオオムギ、アワなども栽培していたと言われています。

 遺跡公園内からは、展望が広がる高台があり、確証はないがここがチャシではないかと推測して、紋別公園まで真っすぐ走って帰る。痕で調べると、家系城郭研究所さんの情報では、遺跡公園の南側の丘がそうだった。

【オムサロチャシ】
・城 跡 名:オムサロチャシ
・所 在 地:北海道紋別市渚滑町
・創建年代:不明
・創 建 者:不明
・形  態:丘先式
・主な遺構:空壕:直条2条
・大きさ:不明
・標高:不明、比高:不明
・説明板:なし
・伝説:なし

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