札幌市(手稲、三樽別川、サンタロペツ通行屋跡、馬頭観世音)
・行き:家~二十四軒手稲通~手稲本町~曙図書館 10.8km 1時間29分
・帰り:曙図書館~宮の沢駅 5.7km 45分
令和3年(2021)2月21日(日)
令和3年1月29日付け北海道新聞のコラム、新世代歌人山田航のモノローグ紀行にサンタロベツ通行屋の記載があったので、曙図書館に行きがてら行ってみる。
【モノローグ紀行転載】
冬眠をしているような釣具店裏には雪の吹き溜まる川
開拓期の北海道には、往来の激しい道路に「通行屋」という官営の宿場が設置されていた。旧本願寺道路(現在の国道230号)沿いの簾舞通行屋は現在も家屋が保存され、南区簾舞の郷土資料館として使われている。そして旧発寒村の一部だった手稲区富丘には「サンタロペツ通行屋」があった。現存していないもののおおよその所在地は伝わっており、三樽別川と二十四軒・手稲通が交わる富丘二条橋の付近にあったという。
開設は1871年(明治4年)。南部藩出身の吉田新兵衛が開拓使の命によって宿泊業務を取り扱い始め、札幌と小樽を通行する役人や旅人の休憩所・宿泊所として栄えた。この通行屋を中心に、札幌では珍しく官募移民を伴わない集落が自然に形成され、下手稲村が誕生した。手稲は、仙台藩片倉小十郎の旧家臣による開拓が「上手稲」、民衆によって開かれた街が「下手稲」と明確に区分される地域だった。
軽川街道(現在の国道5号の一部)が西に通じてからは軽川(現在の手稲本町)に下手稲村の中心部をとってかわられ、サンタロベツは発展の遅れた地域となった。1942年(昭和17年)に瑞祥地名として富丘と名付けられ、現在のように住宅地として発展したのは、遷gの70年代以降である。
上手稲が、昨日訪問した登別市幌別と同じく、仙台藩の片倉家の家臣というから、これも何かの縁だ。その後、手稲本町の手前で、馬頭観音碑を見つける。手稲も古い街だ。
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