令和5年(2023)6月18日(日)
士幌町発祥の地碑~旧士幌駅~草創造百年記念碑・白山神社
約12km 1時間47分
ただ走るだけでは面白くない。今日も吉方を訪ね、歴史に触れるランニング。
美瑛ヘルシーマラソン後、少し体調を崩し、今日は体調も戻ったので、吉方の西方の士幌町を訪問しランニング。十勝晴れの初夏の風景が美しい。
駐車場所は、士幌町中心街の「士幌市街発祥の地」碑
【士幌市街発祥の地】
士幌町長小川寅之助書
沿革
士幌町は明治31年(1899年)人跡未踏の原始林に開拓の鍬がおろされたのが始りとされている。
当時先人は想像に絶する困難と風雪に耐え未開の地を切り開き町の礎を築き今日全国に誇る畑作酪農郷をつくり農産加工肉牛生産基地日本一の町として飛躍的な発展を遂げた。
ここ本通りは大正三年(1914年)に始り士幌市街地形成の原点であり、大正十年分村に当たり役場仮庁舎が置かれ農産物検査所、巡査駐在所が置かれ村の中核として活況を呈してきた。
道は昭和63年(1987)道道本別新得線拡幅工事を進め国費補助事業によるふれあいの道構想を樹て平成4年(1992)完成をみるに至り、街路の様相は一変し近代化が進んだ。
ここにふれあいの道完成を記念し町及び市街発祥の地元本通り町内会がこの碑を建立し、その歴史を後世に伝えんとするものである
平成5年6月
その後、図書館によって新聞を見る。今日は父の日なので職員の方から麦茶をもらった。やはり吉方は良いことが起きる。その後、旧士幌駅を訪問する。
【士幌線、士幌駅の概要】
大正14年 帯広~士幌間開通
大正15年 士幌~上士幌間開通
昭和14年 上士幌~十勝三股運航開始
その間、新駅の開駅、国鉄バスなどの変遷を経て
昭和62年3月22日 国鉄士幌線廃止
そこで、ランニングをやめようと思ったが、グーグルマップを見ると、3kmほど北東に百年記念碑があるので、走ってみることに。そこには数々の歴史の遺物が残されており感動。その辺の集落は「百戸分」と言われているそうだ。
【草創百年碑】
碑文
ヌプカの嶺を望み 音更川の清流に沿う 豊潤な理想郷あり
明治39年5月岐阜県武儀郡より、音更川を挟む東西500町歩通称「百戸分」の川東部分を新天地と定め、四戸入植せしが百戸開拓の創始なり。
巨大樹木の枝を伐り落とし焼き払い、生い茂りし灌木草原を鍬にて開墾、心の安らぎを求め郷里白山神社の分身を鎮守となし勧請、子の教育を期し教授場を開校、幾多の冷害凶作災害不況を克服、艱難に耐え辛苦を乗り越え肥沃な大地を築く。
その不撓不屈の精神を継承、道路を建設保全し畑作農業成功に向け優駿を生産、酪農振興に先導的役割を発揮、近代農業の生産基盤を形成し理想郷へと発展を期す。
星霜百年、草創発展を遂げし先人の尊い偉業を偲び、その功績を賛仰し、地域住民一丸となりて更に充実させんことを誓い、この碑を建立す。
平成十八年六月吉日 百戸開拓100年記念事業協賛会 会長 長瀬直道
この場所に白山神社があったが、美濃の国からの移住者がおおく、白山信仰があったものだと合点がいく。この碑のほかにも、「開拓二十年紀年」碑、「拓魂」碑があった。拓魂碑の書は、全農太田寛一氏である。また、鎮魂碑には、「くにのためさくらと散りし若人の み魂ねむれよ百戸の森に」と刻まれ、その下に、戦没者氏名が刻まれている。ほとんど二十代(一部重大)の若者の氏名が刻まれている。しばし黙?して、駐車している車に走って帰る。
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