厚岸町(道の駅~真龍神社~鹿島稲荷神社~愛冠岬)
平成30年(2018)7月16日(月祝) 13.7km 1時間52分
三連休の最終日、好天に恵まれたので、吉方の釧路市に走りに行こうと思ったが、少し遠いので、厚岸で行っていないところを走ることにする。
神社2件にお参りした後、国泰寺の奥にある愛冠岬を初めて訪問する。好天の下、とてもきれいな景色を堪能するとともに、改めて厚岸の歴史が深いものだと感じる。
帰りには、日蓮宗の法華寺の裏の山がお供山チャシ群の一つであることが判明。山に登る階段状のものも発見した。今度、夏以外に登ってみよう。
【真龍神社】
寛政4年(1858)4月、松浦武四郎が奉持する八幡大神を、当地真龍に1祠を建て奉安し、且つ祭神無き集落を憂い氏の深慮より奉斎したのがその始まりと伝わる。その後、高畠清次朗・浜本彦松の両名が祠跡を修復、社殿を建立し、明治41年京都石清水八幡宮、伏見稲荷大社より御神体を勧請し、当時真龍村の氏神、真龍八幡神社として祀った。文献上、当神社創祠の年とする。大正14年造営並遷座。昭和16年現在地に移転、遷座。昭和19年旧参道50mのコンクリ-ト階段120段、当港駐留の海軍部隊の協力により完成奉納。昭和28年宗教法人、厚岸真龍神社(通称真龍神社)となる。昭和37年字名変更により真龍の地名が無くなる。昭和45現在の社殿造営、遷座祭を執り行う。同時に社務所を新築する。
【鹿島稲荷神社】
鹿島稲荷神社祭神御堂の前身は、300年以上前に建てられた小さな祠だと言われていますが、詳しいことは分かっていません。 ,『鹿島』という名が付いたのは、明治30年頃ニシン漁を営むため南部(盛岡地方)より渡ってきた鹿島万兵衛が、稲荷神社の総本山の京都伏見稲荷神社から御神体の分霊を受けて祀ったからだと言われています。稲荷神社の例大祭は毎年10月2日、3日に行われ、神前には油揚げやてんぷら、御神酒、魚などが供えられます。
この御堂は、高さ1m36cm、幅96cm、奥行き67cmの木造流れ造りで、床裏に『文化二年(1805)、江戸神田紺屋町弐丁目(現東京都千代田区)宮大工七右衛門』と墨書きされています。
製作年代と製作者が明確なことや、年代的に七右衛門が国泰寺を建てた宮大工の一人である可能性があることで貴重な文化財となっています。
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