令和4年(2022)4月2日(土)むかわ町二宮地区
快晴予報であり、吉方のむかわ町に史跡訪問ランニングに向かう。一か所気になる地区として二宮地区に報徳館という建物が地図上に表示されており、もしかして二宮金次郎との関りがあるかも知れないと思い車で向かった。
途中で「報徳の里 二宮 身土不二 稔り豊かな農産物」という看板を見つけた。直線の道路から曲がりくねった恐らく昔の道を辿ると報徳館に到着した。
入口に和郷と開基百年の石碑があり裏面に説明板があった。
【碑文】
明治26年4月移住者の一鍬により開墾の始まりを見る。以来、厳しい自然に立ち向かい幾多の苦難を耐え忍んだ先人と後継者の努力により稔り豊かな理想郷二宮に発展し今日に至る。開拓とともに始まり世代を越えて続く御茶講は相互扶助を育む。この地に由来する二宮尊徳翁の教えを尊重する勤勉の精神は地域の担い手によって継承された。今ここに開基百年の歓びを祝い繁栄のの基礎を築かれた先人への感謝の念と二宮地区の融和ある郷土発展を願い地域住民の総意として和郷の碑を建立する。平成4年11月吉日 二宮自治会
坂を登り小学校跡を整備した報徳館があり、二宮金次郎の銅像とともに説明板と報徳訓があった。
【説明板】
本郷に開拓以来継承されてきた茶講精神と「至誠を本とし、、勤労を主とし、分度を体とし、推譲を用とする」。報徳実践の道が融合信仰による人心の安定と報徳経済の堅実により、今日の美田、良風となる。ひとえに先人と第4代深瀬校長の功による。二宮の字名も報徳実践の地であることに由来する。開基92年、小学校校舎新築の嘉歳にあたり、その偉業を賛仰し、伝統の永世運承を願いここに像を建立す。
昭和60年6月吉日 二宮自治会 宮崎幸雄男 謹書
【報徳訓】
父母の根元は天地の令命にあり
身体の根元は父母の生育にあり
子孫の相続は夫婦の丹精にあり
父母の富貴は祖先の勤功にあり
吾身の富貴は父母の積善にあり
子孫の富貴は自己の勤労にあり
身命の長養は衣食住の三つにあり
衣食住の三つは田畑山林にあり
田畑山林は人民の勤耕にあり
今年の衣食は昨年の産業にあり
来年の衣食は今年の艱難にあり
年年歳歳報徳を忘るべからず
https://www.hokkaidokaitaku.club/story/ShortShort/2020/mukawa_houtoku.html へのリンク
北海道開拓クラブのホームページによると、明治25年の春に札幌の大江常三郎らが開拓には行った地であるが、泥炭地だったため脱落者が続出したという。これを立ちなおしたのが、元仁立内小学校(後二宮小学校)の好調だった深瀬広治である。二宮尊徳精神で部落民の強化に努め、住民がみな勤勉と尊徳の報徳精神を信奉実践したら、泥炭地が改善していったという。
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