三笠市・達布山・三笠山

山登り

三笠市内散策ラン、達布山(143.7m)、三笠山(観音山)(120m)

平成29年5月5日(金祝) 9:00頃出発 13.9km 2時間24日 三笠市役所~達布山~三笠山~三笠運動公園~三笠市役所

 本日は、吉方が変わり東南か南である苫小牧に行こうと思っていたが、よくよく調べると本日の16時が変わる時刻であった。このため、予定を急きょ変更してまだ吉方の北東の三笠市を走ることにする。
 市役所裏の駐車場に車を停め、まず、最初の目的地である達布山を目指す。最初に「市来知神社」を訪問。名前の由来は三笠市の一部は以前、市来知(いちきしり)という地名で、アイヌ語で「熊の足あとの多い所」だそうだ。
 神社の由緒はネットによると次のとおり。

【転載】
 明治15年(市来知村開村と同時)達布山に小祠を建立したことに始まる。明治18年6月6日集治監による農耕の祭祀を達布山に於いて斎行、同19年には現在地に境内を定め神殿を建て7月7日遷座祭並びに初めて例大祭を執り行う。同21年10月10日無格社に列せられ社名を市来知神社と称え、競馬場も新たに完成、同34年集治監廃監後例祭日を8月5日に、同42年から9月5日に変更する。大正5年社殿改築社務所新築鳥居建設し同9年9月6日村社に昇格。昭和16年神社及社務所を造営、同18年11月19日郷社に昇格した。同21年宗教法人令により法人神社の登記を完了する。同26年幌内太神社合祠、同37年競馬場廃止跡地に三笠市立総合病院を建設(三笠市に用地貸与)、同56年市来知神社創祀百年記念として境内地に演舞場を建設、平成3年神社創祀百拾年祭を奉仕する。
【転載終了】

 次に達布山を目指す。車道を登り、途中から山道の跡らしきところからショートカットする。頂上にはあっという間に到着。展望台はあるが、高所恐怖症なのでもちろん登らない。木々の間から空知の平野が見える。明治の元勲である、西郷従道、板垣退助、永山武四郎、榎本武揚、山県有朋、山田顕義、井上毅、桂太郎などの面々が訪れた展望台という。この山の成り立ちは硬い岩盤が残ったものだそうだが、いつも高速道路から見える坊主山を同様だそうだ。今度、坊主山も訪問してみたい。以下、ネットの紹介。

【転載】
 達布山は三笠市街地への入口にあり、石狩平野を一望することができる展望地でもあります。標高は143.8m、アイヌ語の「タプ・コプ」(頂上のまるい峰の意)が由来です。開拓時代には、頂上にあずま屋、休憩所、屋根が傘のような構造でクルクル回る風車仕組みの回旋塔などがすでに設置されていたといいますから、当時の道内の展望台としては充実していたほうでしょう。
 その達布山展望台は明治時代から重要な場所として活用されてきました。例えば、幌内鉄道を敷設するためのプランは、この山の展望台からの眺望をもとに練られたといいます。それにより、1882年11月に手宮~幌内間が全通しました。
 翌年1883年6月には、月形町の丸山と結ぶここ達布山山頂で火を焚き、月形との位置を測定。それをもとに樺戸街道(11㎞、樺戸道路、現・道道275号線月形峰延線)が月形町の樺戸集治監の囚人によって開削されることになりました。この樺戸集治監は1881年に、三笠市の空知集治監は1882年にそれぞれ開設されています。この両集治監を結ぶ道路として着工されたのが樺戸街道で、1887年に完成しました。
【転載終了】

 次にまた市街地方面に向かうと「空知集治監典獄官舎レンガ煙突」に向かう。勉強不足であったが、この地は月形や網走とともに、監獄があった地であり、この煙突のところに刑務所長の官舎があったそうだ。明治23年に設置された空知集知監には3千人もの囚人がいて、石炭採掘や道路建設に従事させられたようである。

 そこから市内の史跡の看板では「三笠山」というものがあるが、山マニアでもある自分にとっては初めて聞く山だったが、レンガ煙突の場所からすぐその登り口はあった。札幌の円山と同様にお地蔵に番号がふってあり、そのお地蔵さんに沿って歩いて登っていく。徐々に標高を上げ24番目のお地蔵さんがあるところがピークのようだ。そこからさらに歩くと標高を下げ、33番目のお地蔵さんがあるところで、また登り口に戻っていた。桜が非常にきれいで、先人がおそらく植えたのであろうか。

 市街地に戻りさらに東に向かうと墓地の一角に「千人塚史跡公園」があった。先ほどの空知集治監で明治25年まで亡くなった965人の墓を集めて、明治29年に合葬之墓が設置され、その後集知監が廃監となるまで死亡した193人を加えた1,158人が合葬されているそうだ。

 その後、三笠のスポーツ公園の横を通り、川を渡って道道岩見沢桂沢線を通り、三笠鉄道村を見学してから市役所に帰る。もう一つ発見だったのが、市役所前に盆踊りの櫓があり、北海盆歌が、この三笠の地が発祥の地だったことだ。

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