二十四軒開拓碑・円山学田記念碑・開村用水記念碑

石碑等(開拓記念碑)

平成27年(2015)11月29日(日) 家~二十四軒公園~西野~平和~平福トンネルの上~福井~家
 約14.8km 2時間17分 

昨日、子供のサッカーの試合で平和小学校に行ったが、史跡が結構あったので、今日は走りながら巡ることに。また、同じ道は面白くないので、平和から福井に抜ける循環ランニングのコースをたどることに。
 ちょっと遠回りだが、最初に二十四軒公園の石碑に向かう。

【碑文】
 明治8年五月青森岩手宮城県より北海道開拓使最初の屯田兵として士族に百八戸が集団兵屋に入植始めは集団開拓により午前四時ラッパの合図に起床し夏は十一時間冬は九時間と規律ある勤務が続き(之も?)生活の中で大開拓の闘志に湧き明治十四年明治天皇北海道御巡幸には開拓地屯田兵屋生活状況等ご覧になられたのである(琴似神社屯田記録より)当時は茫漠たる原野と原始の森に先住農家が二十四戸点在して居り屯田兵は此の先住者を深く敬愛しその二十四軒の字名呼称でありこの精神が今日に伝承されている
 私達は此の先住者屯田兵その家族が冬の寒さと生活物資の不足に負けず暫し望郷の念に耐えぬいた偉大なる開拓者の方々に心からの感謝をしここに屯田兵ゆかりの者と地域協力者琴似屯田百年事業期成会により百年記念碑を建立し私達の住む由緒ある地名と共に永遠の豊かな発展を願うものであります。
 昭和四十九年五月二十七日建立
 二十四軒地域協力者 屯田兵二十四軒在住遺族

 その次に、西野6条3丁目の西野まちづくりセンターに行ってみると、「円山学田記念碑」がある。説明版を転載する。

【円山学田記念碑】
 円山学田地は、明治17(1884)年、学校財産として国から払い下げられた土地で、開墾地から生じる収益により円山地区の小学校の維持運営費が賄われました。学田地は、現在の昭和連合町内会の大部分と西野第一、第二町内会区域の一部にまたがる約100ヘクタールの広さでした。
 この碑は、学田地開墾の成功を記念するとともに、長い間学田世話係として尽力された上田善七の功績を讃えるため、明治43(1910)年9月、開拓の労苦を共にした入植者有志により、建立されたものです。
 平成9(1997)年12月 西区役所

 次に平和地区に向い、平福トンネル方面の道路に向かうと、「開村用水記念碑」に向かう。碑文を転載。

【開村用水記念碑】
 明治19年三月六日 石井助太郎 春中鳴太郎 並二同年九月五日 安井茂右門 外十七名移住 農業ニ従事シ 明治三十八年五月六日 坂井三郎右エ門外十八名 発寒川ヨリ引水用水出願 八月十四日許可

 平福トンネルは走らないで、立ち入り禁止であるがトンネルの横の道路を走る。軽トラックが止まっていて、雪道の踏み跡があり、林の手前に石碑があり、「稲輪道」と書いてある。踏み跡が続いているので行ってみようと思ったが止めて走ると、林の中に家が見えた。こんなところに家があるのも凄いが、赤いシャツを着た年配のおじさんが家から出てきた。

 五天山公園から右股通りを下ると、福井地蔵尊があり、写真を撮ってから、家に帰る。

 

コメント