伊達邸別館当別伊達記念館

旅ラン

平成26年(2014)9月28日(日) 18.96km 2時間25分
東雁来札幌サッカーアミューズメントパーク~(国道275号線)~当別町

 三男のサッカー試合を観戦。今日は札幌市サッカー少年団8人制(U-10)の準決勝、決勝の試合なのだ。準決勝は前田中央に1-0で辛勝。いよいよ決勝は、これまた手稲区の若葉ボンバーズ。前半先制されるも、すぐに1点を取り、追いつく。しかし前半終了間際クリアミスからの痛い失点。後半も結構攻めるも得点できず、2-1で惜敗。しかし、札幌市内204校中の2番目、健闘を讃えたい。小学校4年生で優勝してしまうより、負けて悔しさをバネに、これから頑張ることが子供たちのためだ。

http://www.sfa-net.jp/4_2014_U-10taikai_ke_zensi.html へのリンク

 そして、その後恒例の街角ランニング。今日は、サッカー場から国道275線を走り、当別町まで走ることに。昨日、1時まで飲んでいて二日酔いだが、江別の角山まで順調に走りを進める。しかし、石狩川を渡る新石狩大橋で、歩道が無いことが判明。ここまで来て引き返すのも悔しいので、車道の隅を走るが、トラックとすれ違う時に怖い。しかも、この橋は長いのである。そうは言いながら、何とか橋を渡りきる。橋を渡ると当別町の田園地帯である。途中、泥炭試験場跡地の碑を見つける。先人は石狩平野南部の泥炭克服に奮闘していたのだとひそかに感動。
 心配していた雨も降らず、約2時間半で当別町に到着。今日の主目的は、「伊達邸別館当別伊達記念館」を訪問すること。当別町は、宮城の伊達氏の一族、伊達正宗の4男の系譜の末裔、伊達邦直主従が切り開いた地なのである。資料館には、江戸時代の袴、書、漆器などが置かれている。
 パンフレットによると、次の通り。

【当別町の歴史】
 当別町は明治4年4月、旧仙台藩岩出山一門伊達邦直主従により、開拓の鍬が入れられました。爾来、昼なお暗い原始林を切り開き、水害、冷害、幾多の困難を不屈の闘魂と固い団結の力によって克服し、今日の当別の礎を築きあげました。
【伊達邸別館】
 伊達邸別館は明治13年の建築といわれ、多くの名士来村のおりの宿泊、懇談と村政執行のための初会議に使用されていました。
 明治16年、小松宮彰仁親王殿下をはじめ、西郷従道農商務卿、岩村通俊検査院長など多くの方々が宿泊されています。昭和55年に当別町に寄贈されました。
【伊達邦直】(1834~1891)
 天保5年9月12日陸前国玉造郡岩出山(現宮城県大崎市岩出山)に生まれました。19歳の時、岩出山伊達家10代目を相続、明治元年戊辰戦争に敗れ、禄高を削減され、北海道開拓を決意。
 明治4年180名の移住者とともに厚田郡シップに移住しましたが、不毛の地のため開拓を断念、同年5月に2回にわたり当別を調査し、翌5年5月2回目移住者169名とともに当別に移住しました。

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