平成29年11月12日(日) 6時30出発(約6km) 函館市神山~五稜郭公園~本通~鍛冶稲荷神社
親戚の家で一泊後、早朝ランに出かける。親せき宅から五稜郭までは高校時代の通学路。函館市立高校から本通を通って帰ると、鍛冶稲荷神社にたどり着く。ここは函館勤務時代も何回も通っていたが、400年以上も歴史ある神社だったのだ。
さらに、この神社の地に函館水田発祥の記念碑を発見。ここは元禄時代だから1700年頃に水田が作付けされていたのだ。
【鍛冶稲荷神社の由緒】
慶長4巳亥年、小柳善右ェ門の祖善右ェ門と云う者、山城国稲荷山より分霊を受け当村に小祠を建立して之に安置、後村民協議の上村の鎮守の神とする。明治9年村社に列せられる。明治42年2月社殿改築出願、明治44年8月同村大字神山村村山稲荷神社合祀の議北海道庁に出願、同45年5月6日合祀済の上届出、その後神山稲荷社は神山地区人口増により、昭和42年元の神山村に奉遷する。
【函館水田発祥300年記念顕彰碑】
沿革 鍛冶村は天正10年津軽の善右衛門移住元禄五年南部の柏谷作右衛門種籾持参鍛冶村神川で水田発祥(現在神社内)元禄十五年亀田川大洪水地蔵山の東側で本流と神山村小島川方に奔流し翌十六年6月再度亀田川大洪水鮫川留野沼となり星霜242年昭和19年我国は主食自給に鍛冶各地の明渠排水を勤労奉仕で深度八尺幅二間堤防六尺に掘ったと岡田考次郎氏証言底地の埋木「オンコ、ブナ、セン、谷地タモ等が根本は東で枝は西に倒れているこの作業記念に「オンコ」を切り出して杵を作り家宝にしている又亀田土地改良区理事長土井勝雄は七五郎沢に貯水ダムを築造した。戦後の変転は著しく函館水田発祥爾三百年幾多先人の功績を検証する記念を建立する
平成十一年十二月
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